2021/03/20

でべそでもブランドもの

 スーパーで「不知火」という柑橘類を買ってきたのだ。
売り場に張ってあった「あおり」を読むと・・・。
『いわゆる「ポンカン」と同じ柑橘類で、酸味が少なく非常に甘いです。』と書かれていたよ。
その横で、「デコポン」がもう少し高い値段で売られていたんだけど、なんとなく「不知火」の方を買ったのだ。
すでに高級柑橘類の「せとか」を1個買っていたのもあるんだけど(笑)
で、少し気になったので、不知火とデコポンの関係を調べてみたんだ。

基本的には、不知火(シラヌヒ)はミカン科ミカン属の柑橘類の栽培品種で、大陸系の水分が少なめのポンカンと、温州ミカン(いわゆる普通のミカン)とオレンジを掛け合わせたタンゴールである「清美」を荒廃させて作られたもの。
長崎の島原にあった農林水産省の果樹試験場(現在は国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)で作られたのだ。
独特の「へそ」のような戸田付近の出っ張りが特徴なんだけど、その見た目があまり良くないのと、そのためにどうしても不揃いになってしまうのもあって、栽培品種には不向きと当初は品種登録されなかったそうなのだ。
ところが、その試験栽培の苗木が島原湾を挟んだ反対側の熊本県の不知火町に持ち込まれ、試しに栽培してみると、非常に甘い実ができたのだ。
成熟してくると川がしぼんでくるそうなんだけど、そのくらいが収穫時で、この過程で甘みが増すようなのだ。
こうして、ちょっと見た目は不細工だけど甘い栽培品種の「シラヌヒ」が生まれたわけ。

で、この新しい「シラヌヒ」を売り出すときに工夫をしたのだ。
それが品質保証で、糖度13度以上酸度1度以下の甘みが強くて酸味の少ないもののみ選択し、「デコポン」という名前をつけて流通させたんだ。
つまり、「デコポン」は登録商標(商標の所有者は、熊本県果実農業協同組合連合会)。
当然その名称使用には制限があって、日本園芸農業協同組合連合会傘下の農業団体のみが使用を許諾されているのだ。
生産者個人が販売する場合や、農協を通さずに独自ルートで販売する場合はその名前が使えないわけ(>_<)
つまり、ボクがスーパーで見かけたのは、おそらくスーパーが独自に契約農家から仕入れたもので、農協を通していないので栽培品種の名前である「不知火」で売られていたのだ。

ここで気をつけないといけないのは、「デコポン」であれば甘くて酸味が少ないという基準を満たしているので、確実においしいのだ。
一方、「不知火」はその基準を満たしているかどうかは関係ないので、よいものもあれば、そうでないものもあるわけで・・・。
独自ルートで仕入れた質の良いものならよいのだけど、「デコポン」と名乗れなかった甘みが薄いもの、酸味が強いものの可能性もあるのだ。
そこは見極めないといけないわけだよね。
おそらく、「デコポン」のブランド維持のため、基準を満たさなかったような果実は加工品に回したりして生菓としては流通させないんじゃないかな。
加工品であっても「デコポン」の登録商標の範囲内なので、仮に加工品になっても「デコポン」を名乗ることは許されないんだけど。
みかんの世界も厳しいのだ。

デコポンはハウスものだと年末年始頃から出回るんだけど、ちょうど今くらいの時期に出てくるのが露地栽培のもの。
この後も低温貯蔵されたものが夏前までで回るらしいけど、まさに今が旬なのだ!
ちなみに、不知火は収穫当初ちょっと酸味が強くても、貯蔵しておくと酸味が抑えられるようで、そういうのを後回しに出荷するみたい。
もともと果皮が厚くて日持ちもするのでそういうこともできるのだ。
ちなみに、ボクが買ってきた不知火は酸味はほぼ鳴く、非常に甘くておいしかったよ♪

2021/03/13

オレの屍を越えていけ

もうすぐホワイトデー。
ホワイトデーは感じで白日。
白日と言えば、King Gnu。
というわけで、今回気になったのはヌー。
もちろん、動物の方だよ。

ヌーはウシ科の動物で、アフリカ大陸の南部、ケニアやタンザニアの当たりに生息しているのだ。
牛とカモシカを掛け合わせたような見た目で、顔が大きくて角は立派なんだけど、脚はカモシカのような脚(笑)
ウシというとどちらかと言えばもっさりしたイメージだけど、ヌーは怒濤のごとく走るイメージ。
これは、ヌーは季節ごとに集団で大移動する性質があって、それをよくテレビで見たりするからだと思うんだよね。

ヌーが生息しているあたりは乾季と雨季がはっきりしているので、寒気になると雨が降る方=えさとなる草がある方に草食動物が移動するのだ。
歩奥の場合、天敵である肉食動物に備えるために秀だね異動するんだけど、ヌーはその集団の大きさが半端じゃないんだ。
その数なんと100万頭以上!
まるでナウシカに出てくる王蟲のようだよ。
1年で1600kmを超える距離を移動して、えさを求めてぐるっと異動し続けるのだ。

そのところどころに天敵である肉食獣のライオンやチーター、ヒョウ、ハイエナなんかがいて、むれからはぐれた個体、けがなどで群れの動きについて行けなくなった個体などが捕食されるんだ。
ただし、大集団で移動しているときは、そこに突っ込むと逆に肉食獣の方が踏みつぶされてしまうので、あくまで近くで監視していて、弱ったやつが出てくるとそれをおそう、という構図みたい。
また、ヌーの移動先には必ず水もあるので、ヌーについていくとけっこうくいっぱぐれがないのだ。
さすがに肉食獣には縄張りがあるのでどこまでも追いかけることはないみたいだけど、自分のテリトリーに入ったところから出て行くところまではストーキングするわけだね。

この大移動自体がすごいんだけど、中でもクライマックスは川渡り。
アフリカの川なので日本でイメージする川とは大きく違って過酷なもの。
川幅は広いし、天敵であるワニも生息しているのだ。
そして、川渡りの時期は、繁殖が一段落した頃で、生後半年程度の仔ヌーをつれながらの移動になるんだよね。
もちろん、子供たちを群れの真ん中において大人たちがサポートし、また、天敵から守りながら渡るわけだけど、ぐずぐずしていると天敵に襲われるのでそれなりにスピードが必要。
すると、群れの動きについて行けない子供も出てくるし、もともと体力が弱っていておぼれるような個体も出てくるのだ。
ケニアとタンザニアの国境付近に流れているマラ川を渡るときは、6000頭以上が命を落としていると推定されていて(それでも100万頭の集団とすると0.6%!これが「数の力」だね。)、その死体は1000トン以上になるそうだよ。
シロナガスクジラ10頭分くらいらしい・・・。

これだけの数となるとワニも食べきれなくて、川に死体が残るのだ。
これが徐々に腐敗sい、分解されていくんだけど、実は、これが重要な栄養源として生態系に還元されているんだって。
特に、最後まで残る骨は徐々に分解されていくんだけど(約7年かかるとの推定)、その過程で植物にとって貴重な栄養素である有機リンが出てくるのだ。
これによって、肥沃な草原が生まれ、またそこが草食動物のえさ場になるのだ。
もちろん、途中で朽ちていく肉は魚のえさになって、それはワニや鳥のえさになるのだ。

ところが、最近ではアフリカでも土地開発が進んでいて、農場や牧場が作られてしまうのだ。
そこを大集団で移動してきて荒らされては困るので、フェンスをもうけたり、柵で囲ったりするわけ。
そうなると、移動するヌーの方は移動のルートを変更せざるを得ない。
ルートが変更されると、川を渡る場所が変わるので、その生態系にとってみると、定期的に来るはずだった栄養が来なくなることを意味するのだ。
こうして土地開発をしたところから離れたところでも環境影響が出てくるみたい・・・。
これはかなり難しい課題だよね。
でも、こういう生態系の栄養循環はどこかがほころぶと全体がダメになるんだよなぁ(>_<)

ちなみに、ケニアやタンザニアではサファリツアーとして野生動物を見るのが大きな観光資源になっているけど、このヌーの大移動は人気のツアーみたい。
あまり近づけないだろうけど、100万頭が怒濤のごとく走り抜けていくというのはかなりの壮観だろうね。
テレビなどで映像で見ているだけでもすごいけど、そこに震動なんかもくわわるんだろうなぁ。
それと、ヌーの集団には往々にしてシマウマも混じっているらしいので、ヌーの大移動を見に行くとたいていシマウマもついてくるよ。

2021/03/06

ひな祭りリキュール

 3月3日はひな祭り。
もともとは健康長寿を願う「上巳(桃の節句)」だったんだよね。
ひな人形も最初は飾るものではなく、川に流すもので、汚れを人形に託して川に流すことで健康を願ったのだ(「流し雛」)。
これがどうも江戸時代くらいにひな人形を飾る風習に変わり、そこに備えられるようになったのが白酒だよ。
室町時代には桃の花を浸したお酒を飲んでいたらしいんだけど、それが江戸時代に今のような白酒になったようなのだ。
一見濁り酒のように見えるけど、実は全く異なるものなのだ。
上品などぶろくとばかり思っていたよ(笑)
甘口のお酒なので、婦女子向けなんだって(っていうのもおかしな話だけど・・・)。

また、白い色に意味もあると考えられていて、花嫁衣装である角隠しや白無垢が示すように、白い色は純粋無垢であることの象徴で、そのために女の子の祭りにふさわしいと考えられたとも言われているみたい。
酒自体には清め、払いの意味がもともとあって、かつてはの桃の節句は不老長生を願って桃の花びらを浮かべたわけだけど、江戸時代に女の子の節句となってからは、こういう意味合いも出てきたんだろうね。
ひな祭りの食事と言えば、ちらし寿司とハマグリの吸い物が定番だけど、夫婦和合の象徴であるハマグリも幸せな結婚を願うとの観点でひなまつりに入ってきているようなのだ。
今はそういう社会ではないけど、当時の日本では、女の子は幸せな結婚をすることこそが大事だったからね。
そういうからみの縁起物が混ざってくるのは仕方ないのだ。

白酒は混ぜて作るもので、焼酎やみりんといったアルコール度数の高いお酒に蒸したもち米と米麹を加え、熟成させたもの。
これって、焼酎やみりんに甘酒を混ぜているようなものだよ。
麹はデンプンを分解して糖を産生するので、甘みが出るのだ。
でも、強いアルコールの存在かだし、ここには酵母、つまり、酒母や酛(もと)と呼ばれるものは入っていないので、産生された糖がアルコールに発酵することはないのだ。
その辺にも自然酵母はいるけど、アルコール存在下では増殖できないので、それだけじゃ発酵は進まないよ。
なので、後から加えているもち米は、まさにアルコール発酵の手前で止める「甘酒」の状態なんだよね。
最終的には、残っている粒をよくすりつぶしてできあがり。
どぶろくの場合はまだ粒が残っているけど、白酒はすりつぶしているので、全体的にもわっとしているのだ。

で、この製法のため、酒税法上は「リキュール類」に分類されるんだって。
仕上がりでは、アルコールは9%程度、糖分は45%程度というから、かなり甘めのお酒だよね。
甘いだけでそれなりにアルコールは強いから悪い酔いするタイプのやつだ・・・。
強めのアルコールに果汁などを混ぜるカクテルと同じ。
もっと言うと、焼酎に混ぜものをして飲みやすくする酎ハイと同じなのだ。
焼酎の甘酒割だよね(笑)
逆に言うと、わざわざ白酒を買ってこなくても、家にある甲種焼酎に買ってきた麹甘酒を混ぜても良いのかも。

この白酒で特に有名だったのは、神田猿楽町にあった豊島屋。
一説には、ひな祭りの白酒はこの店から広まったとも言われるくらいだよ。
もともとしろ酒は高級な甘いお酒として季節を限定せずに売られていたらしいんだけど、この豊島屋が桃の節句前に売り出すのが大いにもてはやされたんだそうだよ。
江戸での白酒の元祖と言われていて、桃の節句に白酒がつきものになって行くに当たって大きな貢献をしたのは確かみたい。
現在は所在地は東村山に移っているけど、白酒の製造は続けていて、皇室へも届けているとか。
ちなみに、今でも豊島屋は白酒の売り出し時期をひな祭り前の一時期に限定しているんだって
そう言われるとちょっと試してみたい。
機械ですりつぶすのではなく、昔ながらの伝統製法に従って石臼ですりつぶしているので、ものすごくきめの細かい白酒だそうだよ。

2021/02/27

お達者世代

 いよいよ高齢者へのコロナワクチン接種の目処が立ったみたいなのだ。
4月12日からを目指すんだって。
当初は年度明け早々と言っていたから、2週間くらいの遅れかな?
まだまだ課題はあるから、一般の人向けはまだまだ先だろうなぁ。
で、気になったのが「高齢者」の範囲。
なんとなく「お年寄り」だよね、とはわかるんだけど、実際誰が対象なのかよくわからない・・・。
というわけで調べてみたのだ。

おそらく、今回の「高齢者」は「高齢者の医療の確保に関する法律」における高齢者なのだ。
こちらだと65歳以上が対象ということになるよ。
今は定年が65歳になりつつあるから、現役を退いた世代、ということになるよね。
実は、国内では一番元気な世代でもあるのだ。
「老害」と言われてしまうような、迷惑をかける世代もいるよね(>_<)
世代間闘争をしてもあんまり意味がないのだけど、コロナ対策としては、高年齢の人の方がリスクが高くなるので、まずは高齢者から、というのは妥当なはずなのだ。

一方で、別の法律、つまり、高齢者等の雇用の安定等に関する法律の世界では55歳以上なんだよね。
法理乙の中では「省令で定める年齢以上の者」となっていて、この法律の施行規則である厚生労働省令で「55歳以上」と決まっているのだ。
その差、10歳。
これはけっこう大きいよね。
基本的にコロナ対策は医療の話なので、65歳以上なはずなのだ。
特に報道とかでは言及されないけど。

で、この65歳以上というのも、けっこう複雑な規定ぶりになっているんだ。
定義として「高齢者とは、65歳以上のものをいう」となっていれば簡単なんだけど、そうではないんだよね。
まず、「高齢者の医療の確保に関する法律」の中では、「高齢者」自体の定義はなく、はだかで使われているのだ。
これは一般名詞としての、いわゆる「高齢者」という使い方。
社会通念上の「高齢者」なんだよね。

では、どうなっているのか?
この法律ができたときに話題になったのだけど、この法律では「高齢者」を二層にわけていて、「前期高齢者」と「後期高齢者」がいるのだ。
「前期高齢者」については、各種健康保険の加入者のうち、「六十五歳に達する日の属する月の翌月(その日が月の初日であるときは、その日の属する月)以後である加入者であつて、七十五歳に達する日の属する月以前であるものその他厚生労働省令で定めるもの」となっているんだ。
「その他厚生労働省令で定めるもの」というのは、75歳以上で各種保険の緩急者となっている人を指すようなんだけど、おそらく、75歳の誕生日を迎えてこれまで感泣していた健康保険から後期高齢者医療制度に移行するまでの「ラグタイム」をなくすために入っているものだと思うのだ。
75歳の誕生日を迎えてから14日以内に所定の届出を地元の広域連合に出して資格認定を受けるんだけど、どうしても事務手続きに時間がかかるから。
実際には資格認定日は「さかのぼり」で誕生日当日とかにしているんだろうけど、資格認定前、例えば、誕生日翌日に何かあって保険関係の問題が生じると整理できなくなるからね。
ちなみに、この定義も、「前期高齢者」そのものを定義しているわけではなくて、「前期高齢者たる加入者」を定義しているのに注意が必要だよ。

「後期高齢者」はもっと複雑。
一般に75歳以上と言われるけど、法律上定義されているのは、「後期高齢者医療制度の対象範囲」のみ。
で、この対象は、75歳以上の高齢者と、65歳以上75歳未満の前期高齢者のうち政令で定める程度の障害を有していると認定された人。
つまり、75歳未満でもこの制度の対象になるのだ。
でも、一般には障害が認定されている前期高齢者のことは後期高齢者とは呼ばないのだ。
なので、75歳以上ということでよいんだけど、これも法律上明確な定義があるわけじゃなく、後期高齢者医療制度のメインの対象が75歳以上だから、名前に就いている後期高齢者は75歳以上のことだよね、という理解に基づくものなのだ。

というわけで、よくわかっているようで、実は複雑に定義されているのが「高齢者」というものなのだ。
ワクチンの優先接種については、65歳以上という仕切りでやるんだろうけどね。
それでも、接種開始見込み時期までに65歳になっているのか、すでに65歳以上の人しか対象にしないのかなどの線引きはいずれ必要なんだろうなぁ。
もう決まっているのかもしれないけど。

2021/02/20

コロチュウ

いよいよ医療関係者への新型コロナワクチンの接種が始まったのだ!
特殊な注射器を使えない場合は摂取可能な人数が減るなどの問題も出てきているから一般向けの接種開始は見通せないけど、大きな一歩ではあるのだ。
すでに海外ではけっこう使われているから、効果や副反応はそっちを参照できるし、多少遅れているくらいの方が実は有利だと思うけどね。
早く早く、という勢力と、怖いから摂取したくないという勢力がなぜかネットで争っているけど、本当に効果があるなら、この異常な状況を収束するために有効に使いたいよね。

さて、そんな新型コロナワクチンだけど、摂取方法にも注目が集まっているのだ。
テレビなんかの映像を見ていてもわかるんだけど、普通に想像するものと違うんだよね。
インフルエンザの予防接種の場合は腕に対して角度をつけて斜めに針をさすけど、コロナの場合はかなり垂直に近い形でぶすりと刺しているんだよね。
なんだか痛そう・・・。
実際はそんなにいたくないと言うけど。
これは、今回のワクチンは筋肉注射で接種されるからなのだ。

海外では、多くの不活化ワクチン(病原体を弱毒化した「生ワクチン」に対し、抗体反応を惹起するために病原性を持たないように加工されたもの)の接種は筋肉注射で行われるんだよね。
これは筋肉組織のまわりの方が毛細血管も多く、有効成分が血液中に吸収されるのが早いので、免疫効果が高いと言われているため。
日本では、過去に小児への各種ワクチンの筋肉注射によって「大腿四頭筋拘縮症」という筋肉組織がダメージを上家手壊死してしまう副反応が多く報告されたため、皮下注射が主流になっているのだ。
これが斜めに刺すやつで、筋肉組織の手前の皮下組織に注入する方法。
じわじわと有効成分が吸収されていくので、筋肉注射よりさらに遅効性になるのだ。
インスリンなんかは徐々に効かせる必要があるので、わざと皮下注射にするんだよね。
手術時の昇圧剤とか鎮痛剤とかすぐに効かせる必要があるものは、直接血流に入れる静脈注射になるよ。
今回はワクチン接種だけど、とにかく効かさないといけないから筋肉注射にしているのかも。
海外の接種事例もみんな筋肉注射だしね。


さらに手前で止める注射もあって、それは皮内注射。
表皮と真皮の間に入れるのだ。
ちょうど入れ墨の色素を入れるところ。
ツベルクリンやアレルギーテストのなんかの場合に使うよ。
治療と言うよりは検査目的で使うことが多くて、真皮の手前なので皮膚の色が変わった(赤変など)のがよくわかるから。
さらに、結核の生ワクチンであるBCGのハンコ注射は経皮接種という方法で、皮内注射よりも手前。
皮膚表面に細かい傷をつけ、そこから吸収させるという方法だよ。
ただし、この場合はどうしても傷跡が残るんだよね・・・。

で、ワクチン接種にはいろいろと方法があるわけだけど、ひそかに注目を集めているのは、痛いのかどうか。
効果の有無や副反応の方がはるかに重要なんだけど、実際に接種するとなると、ここが気になるよね(笑)
むかしは日本脳炎のワクチンも筋肉注射で行われていて、特に痛い予防接種と言われていたのだ。
確かに奥深くまで刺すので痛い可能性はあるのだけど、どうも垂直に近い確度で刺すことで恐怖心が増しているという心理的効果もあるみたい。
慣れているはずのインフルエンザの予防接種とも注射の仕方が違うので、どうしても構えちゃうよね。
そこまで痛くないという話は出てきているけど、どうなんだろう?
きっと夏前には一般向けの接種も始まるから、そこでわかるんだろうけど。

2021/02/13

死人に口あり?

フジテレビのいまの月9ドラマは「監察医朝顔」。
もともと漫画が原作で、漫画とは少し設定を変えた形でドラマになっているようなのだ。
第2シーズンをやっているくらいだから人気なんだろうね。
で、タイトルのとおり、主人公は大学の法医学教室に勤める監察医で、警察からの依頼で犯罪性のある遺体を解剖して謎を解き明かしていく、その合間合間に家族のドラマも入れていく、みたいな感じ。

むかしっから監察医はわりとミステリーで取り上げられるよね
どうしても死因を追求しなくちゃいけないし、凶器の特定や死亡時刻の推定は犯人を追い詰めるのに必要なので。
王道は刑事や探偵が主役で、監察医はそういった主人公のサポート役なんだけど、ミステリーも多様化してきて、監察医を主人公に据えたようなものが出てきているのだ。
ドラマだと関東監察医務院(架空の組織)が舞台の「きらきらひかる」(やっぱり漫画が原作)なんてのもあったよね。
海外ドラマでもあるみたいなので、必然の流れなのかも。
もともと深くコミットしている関係者だから、「スチュワーデス刑事」とかそういうのよりは話は自然だよね(笑)

もともと監察医制度は、死因が不明な死体を解剖して死因を究明することを目的に作られた制度で、死体解剖保存法第8条第1項の規定に基づくもの。
実は、日本全国が対象ではなくて、政令で定められた特定の地域のみ(監察医を置くべき地域を定める政令によって、東京都の23区、大阪市、横浜市、名古屋市及び神戸市となっているのだ。)。
これらの地域では、監察医務院を置くか、大学の医学部の法医学教室に委託して解剖を実施するんだよね。
これが「行政解剖」。
基本的に、病院で医師に看取られながら死亡しない場合は、念のためも含めて死因の特定が必要で、交通事故のような目撃者もいてわかりやすいものを除けば、この解剖に回されるのだ。
老人の孤独死とか、砂浜に打ち上げられた水死体とか。
よく報道でも「死亡が確認された」という言い方がされるけど、これが「死体とおぼしきもの」が発見された段階では死んでいるかどうかは決まっていなくて、医師又は獣医師が死体を検案して死亡を確認するとはじめて「死体」という扱いになるから。
即死に近いものでも、白骨化・ミイラ化したものでも、検案というプロセスが必要なんだ。

この検案にはもう一つ意味があって、その死因が「異常」かどうかの鑑別があるんだよね。
で、少しでも怪しいと思ったら検察に連絡が行って、検察官(又はその代行の警察官)が死体を「検視」するのだ。
これは当該死体の異常状況の捜査のことだよ。
その後、死因がよくわからない、ということになるとまた医師の出番で、解剖に回されるのだ。
これが「司法解剖」。
こちらは刑事訴訟法に基づいたプロセスで、「異常」=「犯罪性あり」となった場合に発動。
ただ単に死因がよくわからない、という場合は「行政解剖」になるよ。
監察医はこの「行政解剖」をする医師なんだけど、東京では「監察医務院」が「司法解剖」も行うことがあるのだ。
「監察医朝顔」の世界はまさにこれ。

「司法解剖」の場合は事件性があるので、基本的に解剖すべきとの判断が下ったらいい俗の承諾無しに解剖ができるし、「行政解剖」についても、死因究明に必要と認められるときは遺族の承諾なしに解剖できるんだ。
一方で、監察医制度のない地域(っていうか、日本の多くの地域だけど)の場合は、死因究明のためであっても原則として遺族の承諾が必要なんだよね。
これは感情的なものだけど、「死んでからも切り刻むようなことはしてほしくない」と思う遺族は多いので、解剖されないまま荼毘に付される例も多いのだとか。
ただし、食品衛生法や検疫法においては、どうしても原因調査をする必要があると認められる場合は遺族の承諾なしでも解剖できることになっているんだ。
これは公衆衛生上重大なもの、ということ。
感染や食中毒被害が蔓延すると社会的に重大なリスクになるからね。

こうした解剖の他、普通に病院で病理学的に行われる解剖もあって、それは「病理解剖」と呼ばれるのだ。
学生が学ぶために献体を解剖する場合もあるけど、多くは、病死であることはわかっていてもさらにその詳細な原因を調査したい場合などに行われるのだ。
例えば、多くの場合は心停止で死亡が確認されるけど、なぜ心臓が停止するに至ったのか、体の中ではどういうことが起きていたのかの詳細はわからないことも多いんだよね。
逆に、そのプロセスを薬や処置で止めることができれば延命につながるかもしれないわけで、病理学的に調査したい、というのはあるのだ。
これもなかなか遺族の承諾が得られないみたいだけど。
ま、病気でさんざん苦しんできたのだから、死んでからも切り刻むようなことはやめてあげて、ということなんだろうね。
御自身の意思・遺志で解剖を望む患者さんもいるみたいだけど。

ただ単に死体を傷つけてしまうと刑法の死体損壊に当たるので、死体の解剖についてはこうして法的な枠組みがかかっているのだ。
「死んでしまえばただの物」という考え方もあるけど、やはり死体にも尊厳はあって、それは社会的に合意されている事項なので、死体をむやみやたらに切り刻む、というのはいただけないわけ。
一方で、死因の特定は社会秩序の安定や公衆衛生の向上の観点から必要なものでもあるわけで、その場合にだけ認める、ということだよ。
ドラマとかだとこの辺のプロセスはそんなに出てこないけど、なんでもかんでもすぐに解剖されるわけでもなさそうなのだ。

2021/02/06

包摂的対応

 日本の神社って、「○○神社」か「○○社」と呼ばれるものが一般的で、大きな神社だと「○○大社」や「○○神宮」というのがあるのだ。
ところが、江戸時代の古地図(切絵図)とかを見ると、「○○明神」とか「○○権現」と書かれていることが多いんだよね。
現代でも、お茶の水の神田明神は、正式名称は神田神社だけど、神田明神と呼ばれることが多いのだ。
どちらかというと、「神社」と言った場合には神道の宗教施設を指していて、「明神」や「権現」と言った場合は、その宗教施設にまつられている神様を指しているんじゃないかと思うんだよね。

語源的には、「権現」というのは割と簡単で、「権(ごん)」は、「仮の、暫定の」といった意味(英語のtentative)、「現」は「顕現」の「現」で「あらわれているという状態」を指すのだ。
つまり、「権現」は「仮の姿で表れている」といった意味。
なんで「仮の姿」かというと、日本における神道の神様たちは仏教における仏や菩薩が「仮の姿」で日本人の前に現れた姿である、という本地垂迹説をもとにしているから。
本来土着の、民俗社会の崇拝対象だったものが、いつの間にか伝来の宗教の枠組みにはめられた、ということなのだ。

キリスト教なんかの一神教の場合、他に神様を認めるわけにはいかないので、布教した先々で、その地で古来から振興されていた神様たちは悪魔になってしまい、その神性だけが切り離され、「聖人」に託されるのだ。
信仰に基づく宗教行為のうち、すでに生活に密着してしまっているような収穫祭やら新年の祝いなんかはそういう形で「聖人の祝日を祝う祭り」にしてしまうんだよね。
これはこれでひとつのしのぎ方だけど、もともといたはずの神様が消えてしまうし、伝来後も引き続き昔ながらの信仰を維持するコミュニティとの間では軋轢が生じるのだ。

ところが、どうも大乗仏教というのは懐が深いんだよね。
すべてを取り込んでしまうのだ。
もともとお釈迦様が提唱した原始仏教においては、神様とかいう概念はなくて、悟りを開いて解脱したものが「仏」なのだ。
しかも、偶像崇拝は禁止で、原則として自分で出家して厳しい修行を積んで悟りを開くことを目指す、非常にストイックなものなんだよね。
ところが、これがバラモン教やヒンズー教とまざると、インド古来の神様の多くは、「護法善神」として仏教に取り込まれ、仏教を守護する神様的なもの、という位置づけになるんだよね。
これが明王部や天部と呼ばれるもので、インドラが帝釈天になったりするわけ。
けっこう無理があるようにも思うんだけど、意外にこの方法はいい加減な故に頑健な構造なようで、大乗仏教が広がっていく中でも維持され続けていくのだ。
チベットの神様も密教に取り込まれるし、中国の道教の信仰も仏教の中に入ってくるのだ(例えば、北斗七星を信仰対象とするものが妙見信仰は妙見菩薩になっているのだ。)。

こうして、大陸から日本まで伝わってきた仏教。
日本史で習ったように、最初こそ、土着の信仰との間で軋轢があり、土着信仰を守ろうとする物部氏と仏教を新たに取り入れようとする蘇我氏の間で確執があり、戦にまで発展するのだ。
ところが、これがずっと尾を引くかというと、そういうわけではなくて、日本お神様も実は仏教の神様が化身として現れた姿だと解釈し、神仏習合させることで折り合いを図ったんだよね。
これもすごい話だけど。
これが「権現」という言葉の根底にはあるんだ。
この過程で日本の神様はみんな仏教と一体化していくんだけど、応神天皇をまつっているはずの八幡神に至っては、「八幡大菩薩」なんて呼ばれてしまうように、自分自ら仏教の神様になってしまう例も。

「明神」の方ははっきり言えば不詳なんだけど、もともとは霊験があらたかな神様を「みょうじん」と呼んでいたようで、延喜式神名帳の中では「名神」の漢字が当てられて、国家的な祈祷を行う神社のリストになっているのだ。
ところが、「明神」という字の当て方をした場合もあって、これは普通名詞的に、霊験あらたかで崇拝を集めている神様、といった意味だったようなのだ。
平安の頃はそもそもやっと仮名が生まれてくるくらいで、字の当て方はいわば適当だったんだよね・・・。
なので、たぶん「名神」でも「明神」でもどっちでもよくて、音が大事だったんだけど、延喜式のような公式文書に「名神」と書かれたためにそっちは権威付けの対象となり、固有名詞化していくんだけど、もう一方は一般的な使われ方になったんじゃないかな。
これが後々まで続いていくのが「明神」という言い方。

「権現」にしても「明神」にしても、神様の本来の名前ではなく、通称なんだよね。
そもそもひとつの神社に複数の神様がまつられていても一つの明神や権現で表されることもあるんだ。
例えば、奈良公園の春日大社で有名な春日明神は、4柱の御祭神、タケミカヅチノミコト、フツヌシノミコト、アマノコヤネノミコト、ヒメノカミの集合体なんだよね。
日本の古代思想では、本当の名前は忌み名としてさけられたので俗称で呼ぶ場合が多かったし、そもそも神様の本当の名を口にするなどおこがましい的な発想もあるので、そういう呼び方になったのかも。
実際には、その地域に崇拝されていた神様であって、必ずしも記紀神話に出てこない神様であっても、社格を挙げるために有名な神様に紐付けている例もあるので、この辺は複雑。
春日大社の場合は祖先神なのでわかりやすいけど、諏訪大社のような諏訪地域で信仰されたいた竜神がなぜか国引きでタケミカヅチに懸けたタケミナカタになっているんだよね。
そういう意味では、ひょっとすると、諏訪明神とタケミナカタは本当は別人というか別神かもしれないんだよね。

江戸時代まではこうやって神仏習合で来て、寺社の区別はあまり明確にせずに過ごしてきたんだよね。
そもそも大きな神社には神宮司や別当寺と呼ばれるお寺がくっついていて、そこが神社の管理をしていたりもしたのだ。
ところが、明治維新後の神仏分離令で、お寺か神社かに分けなくてはいけなくなったんだよね!
このとき、廃仏毀釈運動もあったので、神社になれる場合は神社になった方がよい場合が多かったのだ。
で、このとき、「明神」や「権現」というのは、神仏習合時代の負の遺産で、本地垂迹を連想させる、仏教とのつながりを示唆するよう響きに感じたみたい。
そこで、「○○神社」という名称を正式名称にする動きが盛んになって今に至るそうだよ。
三社祭で有名な、浅草寺の横にある浅草神社は、もともと三社権現だったわけだけど、神仏分離で浅草神社に解消したみたい。
この辺は調べていくとさらに奥が深そうだ。