2022/10/01

さっぱりキャベツ

 最近よくキャベツを食べるんだよね。
1日の摂取目安の野菜の量ってけっこう多くて、かつ、野菜ジュースだと食物繊維はとれないので、ここのところスーパーやコンビニで売っている、「洗わずそのまま食べられるサラダ」みたいあのをよく買うようになったのだ。
レタスベースのものも多いのだけど、レタス系は量が少ないことが多く、ついついたくさん入っているキャベツ系を買ってしまうんだよね。
そのまま千切りキャベツを買うこともあるし、紫キャベツやちょっとのレタス、キュウリなどが混ざったミックスキャベツサラダを買うことも。
で、そのラインナップの中に、コールスローサラダ、というのがあるんだよね。

コールスローと聞くとケンタッキーのサイドメニューのイメージが強くて、キャベツとにんじん、タマネギをマヨネーズで和えたもの、みたいなのを思い浮かべるけど、老舗洋食屋で有名な日本橋のたいめいけんでは、キャベツ、にんじん、タマネギを酢と油でマリネしたもの。
スーパーやコンビニで売っているものは、キャベツの千切りに少しのにんじん、粒コーンが入っているものなのだ。
おそらく、袋から出して好きなドレッシングなりマヨネーズをかけて食べてね、ということだね。
ボクはそのままばりばりいくけど(笑)
で、どうも世にコールスローと言われるものはマヨネーズ系と非マヨネーズ系の2種類があるようなのだ。

調べてみると、細かく切ったキャベツのサラダは歴史が古く、すでに古代ローマでも食べられていたんだって。
もともとキャベツは西欧原産で、かつ、かなり冷涼な気候でも育つこと、春にも秋にも収穫できることなど、野菜として優秀なんだよね。
なので、欧州料理にもキャベツを使ったものが多く、サラダとして食べるだけでなく、ザワークラウトのように乳酸発酵させた「漬け物」にしても食べるし、ポトフのようにスープの具にも使えるし、ロールキャベツのようにメインディッシュの重要な構成要素にもなり得るのだ。
日本には明治以降に入ってきたけど、実は大根と並んで家庭で最もよく食べられる野菜の1つになるほど日本の家庭料理に浸透しているよね。
ボクが子どもの頃の給食メニューは野菜系に困ると「キャベツの塩もみ」だったし(笑)

どうも、ザワークラウトも同じくらい歴史が古い食べ方。
これはおそらくの推測だけど、比較的葉が柔らかい春キャベツはそのまま酢と油でマリネして食べるコールスロー的な食べ方で、葉がかたくみっしり結球する冬キャベツはザワークラウトのように発酵させて食べたんじゃないかと思うんだよね。
かつ、発酵させたザワークラウトは長期保存が可能で、かつ、冬場にはなかなか摂取しづらいビタミンCがとれるので、非常に有用なのだ。
ちなみに、パリに住んでいたとき知ったんだけど、欧州のキャベツは日本のものとはまた種類が違って、極めてかたいのだ。
その結果、ただ炒めるだけの野菜炒めなんかにしてもおいしくないし、ましてや、千切りで生食するなんて無理。
煮込んでも煮崩れしにくいのはいいんだけどね。
で、それをサラダで食べようとすると、やはりマリネにするか、発酵させるかしないといけないんだろうなぁ、と思ったよ。

さて、古代ローマから続いていると思われるコールスローは酢と油でマリネするもの。
つまり、たいめいけんで出てくるようなものなのだ。
ところが、欧州で瓶詰めのマヨネーズが市販されるようになると、油と酢と調味料を混ぜて作るより、オールインワンでマヨネーズと混ぜればいいだけなので、同じ材料だけどマヨネーズで和える作り方が出てきて、普及したみたい。
それが移民を通じて米国に持ち込まれ、米国で一般化したのだ。
なので、ケンタッキーのコールスローはマヨネーズ和え。
まともにたいめいけんレシピで作ろうとすると、つけ込む時間で30分~1時間くらいは必要なんだよね。
キューピーのサイトにあるマヨネーズ和えのレシピだと、軽く塩をして水気を切ってからマヨネーズで和える、となっているので、それよりは早く簡単にできるのだ。
ちなみに、たいめいけんレシピの場合は、けっこう野菜から水分が出てきてつけ汁が増えているので、皿に盛るときに水気をきる必要があるよ。
キューピーレシピは先に水気をきっているので、マヨネーズと混ぜたらできあがり。

個人的には、たいめいけんレシピのやつが好きなんだよね。
口の中が非常にすっきりするのだ。
米国留学時代、お昼は自分でサンドイッチを作っていたんだけど、そのときの定番の具としてもよく作っていたよ。
それに、マヨネーズってちょっと罪悪感あるしね(笑)

2022/09/24

国のマナー

 英国のエリザベス女王の国葬には各国から多くのVIPが参加していたよね。
日本でも安部元総理の国葬があるけど、比べられちゃうだろうなぁ。
在位70年の国家元首と、戦後最長とは言え国家元首ではなくて行政府の長の首相だから、差があって当然なんだけど。
ま、そこはそれとして、この英国の国葬であることが話題になったのだ。
それは、我が国を代表して参列された天皇・皇后両陛下の席の移置。

これまで、日本の天皇は「王(king)」ではなく「皇帝(emperor)」の扱いなので、国際儀礼(プロトコール)上は最上位の扱いを受ける、なんて節がネットにはびこっていたのだ。
しかしながら、実際に中継された国葬の様子を見てみると・・・。
二列目にいらっしゃる。
おとなりはマレーシア王だとか。
最前列の真ん中は英国王家だとして、なぜ二列目なのか?

どうも、「最上位に移置している」ということに誤解があったようなのだ。
プロトコールというのは、国と国がつきあっていく上で互いに失礼がないように、ということでなんとなく合意されている慣習のこと。
明文化されたルールがあるわけじゃないみたいだけど、もめないように序列とかが決まっているものなのだ。
ここでのポイントは、一国一国はすべて平等に扱う、ということ。
大国だから優位、小国だから劣位、ということにはしないのだ。

なので、岸田総理も参加した国連総会の場では、議長国をのぞいてアルファベット順に並んでいるんだよ。
国連本部はニューヨークなので英語のアルファベット順。
ところが、パリに本部のあるユネスコ(国連教育科学文化機関)の場合、仏語のアルファベット順に並ぶようなのだ。
オリンピックの開会式の入場が開催国の言語順で出てくるようなものだね。

日本は、英語で「Japan」、仏語で「Japon」なのでさほど位置は変わらないし、御近所もジャマイカとかジョルダンとか似たようなひとたちなのだ。
ところが、米国や英国はそうはいかないんだよね。
米国は英語だと「United States of America」だけど、仏語では「États-unis d'Amérique」になるので、UとEで大きく順番が変わるのだ!
英国も同じで、英語だと「United Kingdom of~」だけど、仏語だと「Royaume-uni de~」なので、米国ほどじゃないけど、Rでけっこう前に出るのだ。
韓国は、英語だと「Korea」でKだけど、仏語だと「Corée」でCになったりするんだよね。

各国代表という同じ立場だとこうやって「あいうえお順」とかでいいんだけど、各国の代表のランクがずれていると、そのランクのずれも考慮する必要があるんだよね。
で、実際に行われているのは、いくつかの階層分けで、具体的には、国家元首(王、大統領ほか)、王族、首相、閣僚みたいな分け方。
冒頭の節だと、さらに「国の格」みたいなのがあって、単一王朝が長く続いている日本やローマ時代から続いているバチカンは格上、みたいな話なんだけど、実は、大国と小国を区別しないように、これも考慮されないんだって。
じゃあ、どうやって同一ランク内で序列を決めるのか、だけど、これも単純なルールで、在位の長さ順だって。
昭和天皇の時代はそれこそ在位数十年で長かったのでほぼ単独トップ。
先帝、上皇陛下も平成は30年以上続いているからやっぱり在位期間は長かったんだよね。
でも、今上陛下についていえば、まだ数年なので、在位期間で見ると短い方なのだ・・・。
昭和天皇崩御の後はまさに英国女王が最長でトップに君臨していたわけだね。
米国や仏国の大統領はどうしても人気があるからそこまでイ一にはつけないのだ(笑)

その下の王族は少し複雑で、王位・皇位継承順位が重要なんだって。
立太子していれば格上、第二王子・王女以降で王位・皇位継承順位が2位以下だと格下になるのだ。
もちろん、日本の女性皇族のように王位・皇位継承に関係ない人たちもいるので、その場合はさらにその下、という扱いだね。

首相やその他閣僚は在任期間の長さ。
同じような考え方なんだけど、駐箚大使(特命全権大使として任国に常駐している大使)の場合は先任主義で、信任状捧呈の順だって。
国の大小ではなく、先に来ている大使の方が序列は上なのだ。
ま、国によって大使といて赴任する人は様々で、閣僚経験者だったり、若い外交官だったり、日本のようにシニアな官僚だったりして、そのバックグラウンドまで追っていられないということだね。

なんかまさしくお作法の世界なので、こういうのこそ「マナー講師」が必要だね(笑)
きっとこういうのは先輩から教わって、自分で体験して学んでいくんだろうけど。
国の威信もあるから、ミスできなくて大変そうだよね。
日本で行われる国葬も、警備ももちろん大事だけど、こういう展でも失礼がないようにしないといけないのだ。

2022/09/17

月が出た出た

 先週は中秋の名月だったのだ。
夕方に雲が出てきて心配したけど、夜には晴れ間が出て、まんまるの月がきれいに見えたよ。
満月だと、ちょうど日の入り頃に出て来るので特にきれいに見えるんだよね。
与謝蕪村の俳句「菜の花や月は東に日は西に」はまさにこのタイミングを詠んでいるんだよね。
これとは全く逆に、月が沈もうとしている頃に日が昇るのを詠んだのが、柿ノ本人麻呂の和歌「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて振りさけ見れば月かたぶきぬ」で、東の方が白み始めた頃に反対側の西の方ではまさに月が沈んでいくよ、という情景だよね。
日が昇ってからもまだ少し月がうっすら見えているのが「有明の月」。
百人一首(坂上是則)で「あさぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪」と歌われるよね。

このように、月は入りと出の時間が日を追うごとにずれていくんだよね。
月の満ち欠けの周期はまさに「ひと月」で約29.5日なので、毎日12.2度ずつずれていくのだ。
時間にすると48.8分で、月の出や南中の時間で言うと、毎日約50分ずつ遅れることになるよ。
新月は太陽と地球の間に月がある状態だけど、この場合は日の出とほぼ同時に月の出になり、日の入りとほぼ同時に月の入りになるのだ。
逆に、満月は地球から見て太陽と月が180度ずれて逆側にいるので、日の出とほぼ同時に月の入りになり、日の入りとほぼ同時に月の出となるのだ。
なので、中秋の名月の次期だと18時前に日の入りになるので、月の南中時刻は真夜中頃。
夜を通して月が見えやすい状態だよね。

むかしの日本人は風流で、月見は連夜楽しんで、徐々に遅れて出てくる月のそれぞれに名前をつけたのだ。
名前がついているのは、満月の1日前(月齢14)の待宵(まつよい)の月。
これは翌日の満月が待ち遠しくて、焦がれてしまう、というところから来た名前みたい。
満月の翌日、月齢15のときが十六夜(いざよい)。
これは、「ためらう」とか「進めない」という意味の「いざよふ」から来ていて、前夜から比べると月が出てくるのが1時間弱遅れるので、早く出てこないかなぁ、待ち遠しいなぁ、という思いだよね。
さらにその翌日は立待月。
これは1時間半強の遅れなのでまだ立って待っていられる、という感じ。
でも、さらに翌日になると居待月。
この日には2時間半遅れになるので、座って待っている、ということなのだ(「居る」は「居酒屋」の「居」で座るの意味。)。
そしてその次の日には臥待月(ふしまちづき)。
もう寝て待っているのだ(笑)
さおして、その次が最後で更待月(ふけまちづき)。
もう3時間半強遅れなので、夜も更けるまで待っていないと見られない、ということだよ。
このとき、月齢は19で、翌日になると月齢20=下弦の月になるので、月は半月から少し膨らんでいるくらいだね。

ちなみに、この時期の月を「中秋の名月」として愛でるのは中国の風習が伝わったものだけど、天文学的にも、この時期は北半球では太陽と月の角度の関係から観月に適しているんだって。
でも、実は関東以西では、この時期は夜の晴天率が低く、月が見えないことも多いのだとか・・・。
でも、逆に言えば、見えたり見えなかったりするからはらはらしてより焦がれるのかもね。
こういうのは手に入れてからよりも追いかけているときの方が楽しいのだ(笑)
で、雲に隠れて月が見えなかったときは「無月」、雨で月が見えないときは「雨月」と名前もついているから、見えないなら見えないで、見えなくて悲しいなぁ、と楽しんでいたのではないかと思うよ。

電灯が普及する前はとにかく夜は暗くて、今よりもっと月はきれいに見えたし、月の明るさを感じられたはずなのだ。
娯楽も多くないし、きっと目もよかっただろうから、月を愛でることを楽しんだんだろうねぇ。
しかも、月が出てくる時間は徐々に遅れるし、そのたびに満ち欠けがあるしで、ただ星を見るよりは飽きなかったのかもね。

2022/09/10

やわらか~

昭和の懐かしい給食、という話題でよく出てくるのがソフト麺。
もともと学校給食用に開発された麺類なんだそうだけど、懐かしんで中年層が食べたがるので、スーパーやネット通販で買えるようになっているんだって。
ボクは正直なところおいしかった記憶はないけどなぁ。
懐かしくはあるけど。
で、最近Yahooの特集記事で再びこの名前を目にして、気になったので少し調べてみたのだ。

「ソフト麺」の正式名称は「ソフトスパゲッティ式めん」というそうで、これは景品表示法に基づいて事業者団体が作る公正競争規約である「生めん類の表示に関する公正競争規約」では、「小麦粉に水を加えて練り合わせ、製めんし表面糊化した後加工したもの」と定義されているんだ。
これだとわかりづらいんだけど、簡単に言うと、製麺した後にゆでてから、さらに加工したもの、ということ。
Wikipediaの説明では、蒸した後にゆでる、とあるけど、実際は逆で、ゆでてから袋詰めして「蒸熱殺菌」されたもの。
これはさっきのYahoの特集記事で実際に製麺業者の人がそうしているからそうなのだ(笑)

「表面糊化」というのは、麺の表面付近のデンプンが糊化(アルファ化)すること。
糊化は、デンプンが熱によりまわりの水を巻き込んでゲル状になった状態。
お米を炊くともっちりとやわらかくなるのがまさにそうなのだ。
麺類をゆでると、麺の表面から水分が浸透していくんだけど、パスタではアルデンテなんて言ってshinnが残るくらいでゆであげる、なんてことがあるように、表面から中心に向かって徐々に水分が浸透していくのだ。
なので、表面付近は水分が多く、麺の中心付近は水分が比較的少ない状態なんだ。
これが麺独特のぷつっという適度な歯ごたえを与えているんだよね。
全体に均一に水分が分散しているおもちとは食感が違うのはこのため。

これはゆでることで麺の表面から徐々に水分が浸透していくからなんだけど、蒸した場合はこうはいかないのだ。
蒸して作る麺ってあんまりないので直接比較はできないけど、比較的近いのは小麦デンプンの皮を使った点心類。
蒸し餃子の皮なんかを想像してもらうとよいのだけど、ゆでた麺とはまた違う食感だよね。
これは、ゆでる場合に比べてさらにゆっくりとして水分が浸透していかないので、じっくりと水がしみていく結果、かなり均一に水分が浸透してしまうのだ。
なので、全体としてもっちりするけど、ぷつっという麺類にあるような歯ごたえはないわけ。
なので、蒸し上げた場合は、表面糊化にはならないのだ。
ま、ゆでてから蒸しても、蒸してからゆでても、最終的にできあがるものは同じような気がしなくもないけど。

ソフト麺の場合は、熱湯でゆで水でしめ、パックするのだ。
このパックしたものを高圧蒸気で殺菌することで、日持ちよくするとともに、芯までしっかり水分が浸透し、ぷつっという麺類独特の歯ごたえがなくなり、全体にもっちりした感じの食感の麺になるよ。
蒸す前だとほぼ細いうどんなんだそうだけど、蒸した後にだいぶ様変わりするのだ。
でも、実は、芯までしっかり水分が浸透した状態というのは、麺類が伸びた状態でもあるんだよね。
麺類が伸びるという場合、芯まで水分が浸透して歯ごたえがなくなるとともに、糊化したデンプンが老化して弾力性が失われ、かたくなったことを指すのだ。
通常は冷め切ってかたくなる状態までいくことはそんななくて、まわりのつゆや汁の水分をさらに吸い込んで芯までしっかり水分が浸透してだらっとした状態になると「のびた」って言うよね。
その意味では、ソフト麺ではできあがり時点ですでにのびているのだ。
でも、もともとそういうものなので、それ以上は変化していかないわけ。
つまり、これ以上は「のびない」ので、給食のように食材が配送されてから食べるまでにけっこう時間がかかる場合でも問題ないのだ。
この最初から伸びているような食感が「ソフト」なわけだけど、この食感をあまり好きになれない人もいるわけだよね。

ソフト麺がうどんと違うのはこれだけではないのだ。
なんと、原料の小麦粉が違うんだよね。
最初に塩と水と一緒に小麦粉を練って生地を作る工程はうどんと全く同じなんだけど、使う小麦粉の種類が異なるのだ。
通常うどんに使われるのは中力粉。
でも、ソフト麺に使うのは強力粉。
パンに使う小麦粉だよね。
これには理由があって、もともとはパン用に支給されていた学校配給粉という強力粉にビタミンBが配合された小麦粉を使っていたから。

高度成長期くらいのこと、まだまだ日本全体の栄養状態はよくなかったので、学校給食用のパンに使う小麦粉が配給されていたんだって。
でも、毎回パンだけだとメニューの幅が狭くなる。
当時はまだパン食もそこまで一般的ではないからね。
そこで、パン用に配給されている小麦粉で麺類を作ってみてはどうか、と考案されたのがソフト麺のはじまりのようなのだ。
現在は配給粉はないようなので、独自に強力粉を原料に作っているみたい。
まさに学校給食という枠組みの中で考案され、工夫されてきた麺なのだ。

2022/09/03

マナー講師の批判はマナー違反

 なんか最近はテレビとか変なマナーを目にすることが多くなったような気がするのだ。
最初に火をつけたのが、とっくりの注ぎ口からお酒を注ぐのはマナー違反、とかいう件。
注ぎやすいようにとがらせているのに、そこを使わない意味とは?
これを皮切りに、そういえばマナーと言われているものの中にも変なものが混じってないか、と注目を集めたのだ。
稟議書の押印の時に上司の方に向かって少し傾けて押してお辞儀しているようにするとか。
オンライン会議では右上が上座(?)とか。

そのむかしも、瓶ビールを注ぐときはラベルを上にして、とかそういうのがあったけどね。
こういうマナーって、「これが礼儀正しいやり方」という共通理解の上に成り立つものなんだよね。
テーブルマナーも層だし、上座・下座とかもそうだし。
逆に言うと、誰かが言い出しただけで、共通理解には至っていないのに、マナー講師と名乗る人たちが「これが正しい」と押しつけてくるから反発を受けるのだ。
しかも、とっくりの話のように荒唐無稽、本末転倒みたいなものもまざっているし。
変なマナーもどきを広めようとするのがマナー違反だよね。

とはいえ、儀礼的に「お作法」というものはむかしからきちんとあるのだ。
マナー講師がはびこる前は、「小笠原式礼法」というのをしっかり習って花嫁修業、みたいのもあったんだよね。
茶道ではお茶会にお呼ばれしたときのお作法があるし、柔道や剣道などの武道でも、礼に始まり礼に終わるみたいなお作法はあるよね。
そういうのに始まって、現代的なものとして、客先との電話は相手が切るまで待つ、就職面接では進められるまで座らない、とかそういう新たな局面に対応するお作法が出てくるわけ。

江戸時代の庶民にそういうのがあったかどうかはよくわからないけど、お祭りの時の祭礼行事には当然伝統的なお作法があったし、冠婚葬祭もどこまでかちっとしているかは別としても、失礼のないように、というお作法はあったのだ。
これが武家になると、「面子」の世界になってくるので、けっこう大変だったみたい。
御査証を指南してくれる人にきちんと付け届けをして教わらないと行けないのだ。
石高が低い旗本やお公家さんでも、そういう副収入で潤っていた人たちがいるみたい。
こういうので有名なのが「高家(こうけ)」と呼ばれる役職。

もともと一般名詞の「高家」は格式の高い家柄という意味なんだけど、江戸時代に役職名にもなったんだよね。
何をするのかというと、まさしくお作法を指南・伝授するのだ。
老中直轄の役職で、朝廷とのコミュニケーションをとる上での作法を教えるのだ。
忠臣蔵のもととなった赤穂事件で浅野内匠頭が吉良上野介に松の廊下で刃傷沙汰を起こしたのも、朝廷からの使者の供応に当たって浅野が吉良の指南を受けることになっていたんだけど、そのときの遺恨が原因。
こういうのは教えてもらわないと用意すべきものなんかもわからないから、意地悪されたら終わりなんだよね。
もちろん、教わる方の態度もあるし、十分なお礼というのも大事なのだ。

この高家職は旗本なんだけど、選ばれているのはかなり家柄のよい武家。
源氏足利流(室町幕府の足利将軍家の流れ。吉良家はこれに当たる。)、室町幕府の管領上杉氏の流れ、織田信長の流れ、武田信玄の流れなど。
徳川将軍家にしてみると、こういういわゆる名家を家臣団に従えているという意味も大きいのだ。
権威付けにつながるというわけ。
江戸幕府が長く安定的な基盤を築けていた要因がこういうところにもあるのだ。

高家は旗本ではありながら、一般に高い官位を与えられたのだ。
というのも、朝廷とのやりとりをする上で、官位が低いとそもそも官位の高い人たち(宮家や有力な公家)と調整ができないため。
通常は従五位下から従四位下くらい。
多くの大名は従五位下で、老中職に就く譜代や大大名がやっと従四位下になるので、旗本としては飛び抜けて高い官位なんだよね。
いわゆる「殿上人」、つまり、天皇のおわす御所の清涼殿への昇殿が許されるのが原則従五位からなので、これくらいの官位がないと仕事にならないのだ。
ま、これは名目上のもので、石高には連動してないんだけどね。

いずれにせよ、この昔のシステムだと、まさしく誰もが認めるような家柄のよい名家が伝統的なお作法について指南をするという形式だったわけだよね。
ビジネスとして勝手に新たなマナーを生み出したりはしないのだ(笑)
俗に元CAが甥とか言われるマナー講師だけど、マナー講師としての有資格であるかどうかも職歴や出自からわからないし、権威付けもないから、どうしても「軽い」のは確かだよね。
それを認識した上で、伝統的なお作法はそれはそれとして教える、現代的な問題に即したマナーは過去の伝統を踏まえた上でこういう考え方でこうやるのがよいのではと提案で留めるとか、そういうことをしないとたたかれるのは仕方がないような気がするなぁ。

2022/08/27

まわる、まわるよ、農業は回る

日本の農業の原風景と言えば、なんと言っても水田による稲作。
春に水を張って田植えをし、夏には青々とイネが育ち、秋には実って黄金色の稲穂が頭を垂れ、冬には水も抜かれてわらが積まれている、みたいな。
日本で水稲栽培が行われてきたのは、土壌の性質の問題もあるんだけど、この方法だと、連作障害が起こらないので、同じ土地で同じ作物を栽培し続けられるという大きな利点があるのだ。
江戸時代にはかなり開墾・新田開発が進むけど、山がちな日本にはそんな広大な農地は望めないので、連作障害を避けるため、貴重な農地を一定期間休耕しないといけないというのはきついのだ。
水稲栽培の場合、水田の水を入れたり抜いたりすることで土壌がリセットされるので、連作障害の原因と言われる病原体の増加・蓄積が避けられるんだよね。
また、作物の生育に必要なミネラル分(カリウム)も川の水から補給されるので、それが欠乏することもないんだよね。
肥料は足せばいいけど、肥料を加えれば雑草も生えやすくなるので、雑草が生育しにくい水田というのは肥料にふんだんにやっても雑草を除去するのが比較的楽、という利点もあるのだ。
これが陸稲栽培になると、土壌はリセットされないので、連作障害が起きるし、施肥して栄養分を補給すると雑草もわんさか生えてくるのだ。
これは小麦なども同じで、こうした連作障害などを避けるためには工夫が必要なんだ。

古代から熱帯地域で行われているのが焼畑農業。
これは一定の区画に火を払って現在生えている植物をいったんすべて焼却するんだよね。
こうすることで、酸性の土壌がアルカリ性の灰で中和されるとともに、カリウムやリン酸などの栄養に富んだ土壌になるのだ。
でも、ここで数年作物を育てていると、連作障害が出てくるので、そうなったらこの畑はいったん破棄して、次の場所に移るんだ。
うち捨てられた畑はそのまま自然変異で雑草が生えてきたりして、以前と同じような野原に戻っていくんだよね。
それが回復したところで、また焼畑をして農地にするのだ。
というわけで、焼畑農業っていうのは不可逆的に森林や草原を焼き払って農地にするわけではなくて、長期的に農地を循環させていく農法なのだ。
自然繊維で土壌の回復を待つのには相応の時間がかかるので、人口に比して結構広い土地がないとサステイナブルには成立しないんだよね・・・。
人口が多すぎると前に焼畑にした区画の土壌回復を待つことができないうちに次々と焼き払われる土地が広がっていくので、一方的な自然環境破壊になってしまうんだ。
歴史的に長い間続けられたってことはそれが持続可能だったからなんだけど、前提条件がくぁってしまって持続可能でなくなってしまったというわけだね。

焼畑農業のように自然変異に任せて土壌回復を待つと時間がかかるので、欧州で編み出されたのが三圃式農業。
これは三つの区画を用意し、秋まきの小麦・ライ麦、春まきの大麦・豆類、休耕して放牧地、というように順繰りに回すことで連作障害を回避するのだ。
放牧地にしている間はシロツメクサ(クローバー)なんかを植えて土壌中への窒素固定を促すとともに、家畜の糞によりリン酸などの有機成分も付加して土地を肥えさせるんだよね。
それで小麦やライ麦などの主要作物を生産し、その次の年はやせた土地でも生育できる大麦や豆類に転換、いよいよ土地がやせ衰えたら休耕、というサイクルだよ。
焼畑ほどではないにしても、必要な小麦の量からすると、その3倍の農作地が必要なんだよね・・・。
これでは大人口を支えられないのだ。
江戸時代は日本の人口が世界的にも大きく伸びているんだけど、これは水田による稲作と、三圃式による小麦栽培の農業生産力の違いもあるんだよね。

これをさらに発展させたのが、農業革命をもたらした転栽式農業。
休耕して放牧地にすると、広い土地に家畜がまばら、という感じだけど、これだと効率が悪いので、休耕せずに家畜飼料用の作物を育てる、ということにしたのだ。
飼料用作物としては、カブやジャガイモ、テンサイなんかを作ったみたい。
これが18世紀から19世紀にかけての話で、ちょうど同時期に起こった産業革命を支えることにもなったのだ
産業革命では大きな労働力が必要だけど、それまでの農業生産効率ではそれだけの人口を支えきれなかったわけで、これでやっと欧州でも大きな人口を維持できる農業生産基盤ができたんだよね。

ちなみに、自然環境により連作障害が回避されていたと考えられる例もあるのだ。
それが古代エジプト。
「ナイルのたまもの」とはまさにそれで、ナイル川が不定期に氾濫することで、土壌に蓄積された病原体が排除され、また、栄養分に富んだ土がもたらされ、古代エジプト王国を支えるだけの農業が可能になっていたんだよね。
古代エジプトの主要作物は小麦だけど、水稲栽培で人工的に行っているような水入れ・水抜きがナイル川の氾濫によって自然に起こっていたということだね。
今では砂漠のイメージしかないけど、古代は一大農業国だったのだ。
だからこそピラミッドなんかも作れたわけだけど。

ちなみに「エジプトはナイルのたまもの」というのは、ヘロドトスの「歴史」にある言葉だけど、どうもこの意味ではないらしいんだよね。
農業生産性の高さのことをいっているわけではなく、古代エジプト王国の中心地は、ナイル川によって作られた中州、ナイル・デルタにあったので、この王国があるのもナイル川のおかげだ、くらいの意味らしいよ。
確かに、古代ギリシアの人間が必ずしも連作障害と川の氾濫を関連づけて考えていたとも思えないし、そんなものかもね。

2022/08/20

1/4の議員の要求

シャムシェイドの代表曲と言えば「1/3の純情な感情」。
そして今回は1/4の議員の要求。
先日、野党が合同で衆参両議長宛に臨時国会開催の要求を出したのだ。
この要求を出すには、議院に属する議員の1/4以上の賛同が必要なんだよね。
ただ、封土を見ていても、出したと言うだけでどういうことがよくわからないので、ちょっと手続的な所を調べてみたのだ。

今回の要求は、日本国憲法第53条に基づくもの。
同条は前段で「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。」としつつ、その後段で「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と規定しているのだ。
つまり、衆参のどちらかの議院で1/4以上の賛同があれば、臨時国会の開催を内閣に迫れるというわけ。
衆議院の総選挙後や参議院の通常選挙後の臨時国会の場合だと、議員の任期が開始する火から30日以内に開催しないといけない、と国会法に規定されているんだけど、こっちはいつ開かなければいけないという規定はないんだよね・・・。
つまり、内閣は、臨時国会の開催の決定はしなくてはいけないけど、その開催時期は裁量を持って決めることができるのだ
今回の場合で言えば、通常秋の臨時国会は9月に入ってから開会されるけど、それを多少でも当初想定していた時期より前倒しにするのか、そのままの時期にするのかは、内閣の判断で決めることができるというわけ。
さすがに憲法に則った手続で要求されたものを軽視するわけにもいかないだろうから、なんらかの調整はするんだろうし、ちょっとは前倒しをするような気もするけど、衆参どちらでも与党が圧倒的に有利な状況だから、受け止めるだけ受け止めて実質何もしないというのはあるかもしれないのだ。

今回の「1/4の要求」の内訳だけど、詳細は報道に出ていないので不明ながら、衆参両院の党勢で見ると次のとおり。
【衆議院】
定数465で、うち与党293、野党167、無所属と欠員で5。
定数いっぱいの1/4とすると、117以上の賛同が必要。
で、野党の党勢として主要なものを見ると、立憲97、維新41、国民11、共産10、れいわ3。
今回代表戦中の維新は賛同していないそうなので、立憲・国民・共産・れいわの全議員が賛同すれば121になるので1/4を超えるのだ。
【参議院】
定数248で、うち与党145、野党94、無所属が9。
定数いっぱいの1/4とすると、62以上の賛同が必要。
で、野党の党勢として主要なものを見ると、立憲+社民39、維新21、国民12、共産11、れいわ5。
維新を抜いて立憲+社民・国民・共産・れいわの全議員が賛同すれば67になるので、1/4を超えるのだ。
野党会派にいる他の議員の賛否はよくわからないけど、両院で維新を除く主要会派が賛同すれば1/4を越える賛同は得られるってことだね。
過半数には届かないから、決議案や法案を通すのは厳しいけど、開催を迫るくらいはできるということか。

数はそろうので、その手続を進めるわけだけど、どうやって要求するかは国会法に規定されているのだ。
国会法第3条で、「臨時会の召集の決定を要求するには、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の議員が連名で、議長を経由して内閣に要求書を提出しなければならない。」と規定されているものがそれ。
この条文のポイントは2つで、ひとつは、「総議員の四分の一以上」という部分。
つまり、定数の1/4ではないので、欠員がある場合は、それを除いてよいのだ。
今回衆議院には欠員1があるので、欠員を除いた464の1/4以上の賛同があればよいのだ。
ま、465だと端数が出るから117必要なんだけど、464だときれいに割り切れて116でよいのだ。
もう一つのポイントは「議長を経由して内閣に要求書を提出」というところ。
今回の報道でも、野党が衆参の両議長宛に要求書を提出した、と報道されているのはこのため。
議員が連名の要求書を直接官邸とかに持っていくわけではないのだ。

こうしてみてみると、今回の報道の背景が少しわかってきた気がするよね。
意外に少なくてびっくりするけど、1/4以上の賛同は両院でもクリアしている、なので、要求書を両院議長に提出した、というわけだ。
あとは、政府の側がこの要求を受け取ってどう対応するかだね。
国会の会期等については原則与党と政府が一体となって対応を検討するので、内閣総理大臣であり、自民党総裁でもある岸田さんがなんらかの政治判断をした上で、今後、与野党の国会対策委員会同士で調整が行われるはずのだ。