2008/07/26

涼やかな音♪

この前、川崎大師の風鈴市にいって名物のだるま風鈴を買ってきたんだけど、これがまた涼しげな音でよいんだよね。
夜は近所迷惑になるかもしれないから、と一応家の中に入れるんだけど、昼間の間は外に出してちりんちりん鳴らしているのだ。
ボクはどちらかとおう空調が苦手で、自然の風が好きな方だから、風鈴の音なんかは大好きなのだ。

もともと中国では魔除け・邪気よけのために家の四隅に小型の鐘をつけて音を鳴らしていたらしいのだ。
今でもクマよけに鈴を鳴らすなんてのがあるけど、むかしから音を鳴らして邪気を祓うというのはよく行われていたのだ。
中国ではこれは風鐸(ふうたく)と呼ばれていて、今でも仏塔なんかにつり下げられているそうだよ。
これが仏教とともに日本に入ってきて、鎌倉時代には日本でも仏教関係の施設で使われるようになったそうなのだ。
そのときの呼び名は同じ風鈴の字を書いて「ふれい」と呼んでいたんだって。

これがいつしか涼をとるために使われるようになるのだ。
最初のころに出ていたのは南部鉄をつかった風鈴のような金属製の甲高い音のするもの。
あの透明感のある、高い金属音はいいよねぇ。
うるさすぎないのもいいのだ。
これが江戸時代になると登場してくるのが、ガラス製の江戸風鈴。
筒の先に溶けたガラス玉をつけ、そこに息を吹き込んでふくらませるのだ。
そうすると、下に穴の開いた、薄いガラスの玉ができるわけだけど、そこに内側から絵を描くと、つやと透明感ある絵柄できれいなんだよね。
ちりんちりんという独特の音もよいのだ。

江戸風鈴の穴の開いている下側はわざとぎざぎざにしたままで、ヤスリなどでみたいらにしていないのだ。
これは、ここにガラスの棒(「舌」というらしいのだ。)がこすれることで、ちりちりちりというかすかな音がするのだ。
大きくゆれたときのちりんという音ともに江戸風鈴の醍醐味で、これとガラス玉の形状によって江戸風鈴の音は千差万別になるのだ。

西洋にもウィンド・チャームという似たようなものがあって、多くの場合は金属の中空の棒が何本がぶら下がっていて、それが風にゆれて互いにぶつかることで音がするのだ。
これも金属質のなかなかきれいな音がするよ。
でも、やっぱり見た目では江戸風鈴がきれいだよねぇ。

2008/07/19

サタデーでない「どよう」

今日から土用に突入。
次の木曜日にはさっそく土用の丑の日が来るよ。
今年の夏の土用の丑の日は2回で、なんと2回目はボクの誕生日でもある8月5日なのだ。
いやぁ、みんなに気にしてもらってまいったなぁ(謎)

土用というとどうしても夏のイメージで、しかも、夏の一番暑い時期が思い浮かぶけど、実は夏だけじゃなくて、各季節の変わり目ごとにあるのだ。
むかしはそれぞれの季節の終わりに当たる立春、立夏、立秋、立冬の前の約18日間ずつだったんだけど、今では太陽の黄道上の位置(地球を止めてみた場合に太陽が1年かけて動く見かけ上の軌道)の角度を国立天文台が計測してて、それで決めているのだ。
ちなみに、日本の季節の考え方では、立春はこれからあたたかくなるところ、立夏はこれから暑くなるところ、・・・という決め方なので、立秋の前の夏の土用はまさに暑さの真っ盛りということになるのだ。
それで一番暑い季節というイメージがつくわけ。

もともとは陰陽五行説から来ていて、春夏秋冬はそれぞれ青赤白黒にあてはめ、青春、朱夏、白秋、玄冬というんだけど、そうすると5にひとつ足らないんだよね。
そこで、それぞれの季節から少しずつとって、黄色の色を当てはめたのが土用という考え方なのだ。
春は青だから東、夏は赤だから南、秋は白だから西、冬は黒だから北と方角も当てはめているんだけど、土用は黄色で中心なのだ。
ちなみに、大相撲の土俵も四隅の4つの柱はこの色に対応していて、中心には黄色が配置されているのだ。

話はもどって、夏の土用の丑の日にはウナギを食べること、この由来はよく知られている平賀源内さんが考案したキャッチコピーというものなど諸説があるんだよね。
もともと土用は季節の変わり目に当たるので体長を崩しやすかったりするわけだけど、夏の土用の場合は暑さの真っ盛りでもあって夏バテしやすいというのもあって、スタミナ色のウナギを食べるのが広まったようなんだよね。
ウナギは脂ものっているし、ビタミンも豊富なので夏バテに効果てきめんなのだ。
油っぽいと夏の暑い時期はちょっと敬遠しちゃうけど、「土用の丑の日」みたいなキャッチコピーがあると食べやすくなるよね(笑)
で、成分的には別に豚肉でもよいし、今なら冷しゃぶサラダなんかでもいいわけだけど、江戸時代は基本的に四つ足の動物は食べなかったので、ウナギが一番合っていたということなのだ。

もともとは「う」のつくものを食べるとよい、というものだったので、梅干しやウリなんかも食べられたようだけど、今ではウナギ一辺倒なんだよね。
梅干しもクエン酸がたっぷりだし、酸味でさっぱりと食べられるから夏の暑い時期にはよいし、ウリ(当時はマクワウリが主流だったと思うよ。)も水分が多くて暑い時期でも食べられて、かつ、ビタミンもそこそこあるからそれなりに弘化はあるはずなのだ。
でも、あんまり商業的なキャンペーンには結びつかないから廃れていってしまったのかもね。

2008/07/12

宇宙旅行に行く前に

むかしは「ペプシを飲んで宇宙へ行こう」なんてキャンペーンもあったし、ホリエモンも捕まる前は宇宙旅行を企画する会社を立ち上げようとしていたけど、今では本当にお金を積めば宇宙へ行けるようになったんだよね。
数十億円かかるみたいだけど、ロシアのソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーション(ISS)へ行った旅行者がいるのだ。
他にも、ヴァージン・ギャラクティック社のように、コストを抑えられる再使用型宇宙船を使った宇宙飛行を計画している会社もあるのだ。
日本でもJTBが宇宙旅行の窓口をはじめているよ。

でもでも、そんなのに申し込む前に知っておかないと行けないことがあるのだ!
それは、どこからが宇宙空間になるかは国際的なコンセンサスがないということ。
国連に置かれた宇宙空間平和利用委員会(COPUOS:Committee on the Peaceful Uses of Outer Space)で長いこと議論してきているんだけど、なかなか決まらないのだ。
というのも、下手に宇宙と空の境界を定めてしまうと、領空の範囲が決まってしまうので、ロケットの打上げのときとかに領空侵犯になるとかならないとかのめんどくさい問題が出てくるからなんだって。
どの国の上だろうと、宇宙空間は自由に飛行してよい、という慣習法ができているけど、それとの関係も整理しないといけないのだ。

そんなこと言っても、一応の定義はあるんだよね。
一般的に考えられているのは、高度100kmを越えたところから宇宙空間とするもの。
これは科学的な性質から来るもので、高度100kmより上空になると安定的に地球の周回軌道を回れるようになる、ということらしいのだ。
もちろん、まだまだ空気があって抵抗があるので、放っておくとすぐに速度が落ちて、そのせいで地上に落ちてきてしまうのだ。
でも、100kmっていうのは切りのいい数字というだけど、大気の密度は場所によって違うから、上空100kmならOKというわけでもないんだよね。
110km説を押す人もいるのだ。

でも、国際条約の1967年宇宙条約(月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約)では、国は、国補活動か民間の活動であるかを問わず、宇宙活動を行うに当たって許可と継続的な監督の義務を持つことになっているのだ。
なので、ロケットの打上げなんかを規制するために必要な法整備をする必要があるわけで、米国なんかは商業宇宙法の中で便宜的に宇宙空間の定義を決めていたりするのだ。
やっぱり世界一の宇宙先進国だね。
一方、日本は法律すらない状態。
というのも、日本でロケットの打上げを行ってきたのは、旧宇宙開発事業団(NASDA)と旧宇宙科学研究所(ISAS)の2つだけで、今ではさらに統合されて宇宙航空研究開発機構(JAXA)1つだけで、どれも公的な機関なのでそういう規制が特に必要とされなかったのだ。

一応日本放送協会(NHK)や電電公社(今のNTT)なんかは通信・放送衛星を打ち上げているんだけど、それは放送法や電波法の中の行政指導として対応してきているんだって。
というわけで、法整備をしなくてもすんできたわけだけど、遠い将来にはそうもいっていられないわけで、実際に北海道の大樹町では、民間団体が将来の民間打上げを目指してロケットの開発を進めたりしているから(HASTICという組織だよ、)、いずれそういう法規制が必要となるんだよ。
そうすると、宇宙空間の定義もきっと必要になるのだ。
ま、定義せずになんとなく「既知」のもののように扱うとか、宇宙空間を定義せずに高度100kmを越えて打ち上げるものを規制する、という形にするとか逃げる道はいろいろあるけどね。

ちなみに、当面問題となるのは一瞬宇宙空間に出た後にすぐに地上に戻ってくる弾道飛行というやつなのだ。
大陸間弾道弾(ICBM)のようにちょっと地球のまわりを周回してからもどってくるのが次のフェーズ。
月旅行や宇宙戦艦ヤマトのような世界はまだまだ先なんだよね。
なので、時間はたっぷりあるような気もするけど、ライト兄弟が初の有人動力飛行をしたのが1903年で、その66年後の1969年にはもうアポロ11号により人類は月面に立っているので、技術の進歩はとてつもなく早いというのも事実なのだ。
そう考えると、うかうかもしていられないんだよね。
ボクが定年になるころには、老後は宇宙で、なんてのもあったりして。

2008/07/05

いわゆるヌードル

夏になって暑くなると、つるつるっと食べられる麺類に人気が集めるよね。
そうめんや冷やしそば、冷やし中華みたいな冷たい麺もよいけど、ラーメンや汁そばのような熱い麺を汗をかきながら食べるのもまたよいのだ。
ごはんものよりは食べやすいから、食欲がなくてもわりと食べられるんだよね。

最近では種類も増えていて、むかしながらのうどん、そば、そうめんだけじゃなく、沖縄のソーキそばやラーメン以外の中華そば(刀削麺、担々麺など)、スパゲッティ以外のパスタ(リングィーネやフェットチーネのような扁平なロング・パスタやペンネ、リガータのようなショート・パスタ)などなど、いろいろなものが食べられるよ。
焼き肉屋さんでも冷麺なんてのがあるよね。
きっと、それだけ日本人は麺類が好きなのだ。

でも、麺の本場の中国では、日本と「麺」の考え方が違うのだ。
すでに中国では簡易字体を使うので「面」という字を使っているけど、中国の麺は小麦粉を使った生地に由来するもののみで、米粉を使うビーフンやそば粉を使う冷麺なんかは麺ではないのだ!
もともと麺という字は麦を面(シート)にすると書いているくらいで、小麦粉を練って生地にした加工品を指すんだって。
しかも、日本で面というと細長いものを思い浮かべるけど、小麦粉を練った生地に由来すればみんな麺なので、餃子や焼売、雲呑も麺になるんだって。
日本で人気のラーメンは拉麺と書くわけだけど、「拉」の字は「引っ張る」といった意味で、小麦粉を練って作った生地をきらずに引っ張って伸ばして作る麺と言うことなんだそうだよ。
金属板で削るようにすれば最近よく見かける刀削麺なのだ。

これに似た考え方なのがイタリアのパスタ。
パスタは小麦粉、特に乾燥パスタの場合はデュラムセモリナ粉を加工した食品一般を指すんだって。
日本ではスパゲッティだけが長いこと知られていたけど、最近になってペンネなんかのショート・パスタもおなじみになったのだ。
あのマカロニやラザニアの皮(?)、ラビオリもパスタなんだよね。
でも、中国の麺とは実はちょっと違うのだ。
それはニョッキのようにジャガイモのデンプンを練って作る生パスタがあるから。
そば粉や米粉を使ったパスタもあるんだって。
そういう意味で言うと、中国よりイタリアの方が懐が深いわけだね(笑)

でも、イタリアのパスタはもともと中国の麺がシルクロード経由で伝わったものと言われているんだよね。
シルクロード沿いには小麦粉を練って作る生地を使った餃子やいわゆるヌードル系の料理がいろいろあって、伝わっていった跡が追えるそうなのだ。
お米の場合は炊くだけでおいしく食べられるけど、小麦の場合はどうしても加工しないとあまりおいしく食べられないから、こういう小麦をおいしく食べる文化というのは伝わりやすかったのかも。
むかしの日本ではせいぜいうどんやそうめんくらいしかできなかったのは、おいしいお米がたくさんとれたからかもしれないね。

2008/06/28

木と草

木と草ってはっきりと違うように思っていたんだけど、どうもそうではないらしいのだ。
調べてみると、定義の仕方で木になったり、ならなかったりするようなのもあるんだとか。
同じ科でも木になったり、草になったりするらしいよ。

一般に木は年輪ができるもの、すなわち、茎のまわりに成長していく形成層があって太くなっていくもの、と考えられているのだ。
竹なんかは年輪ができないので、この定義の場合では草になってしまうのだ!
一方、木の場合は、死んだ細胞によって生体が支えられているという定義もあって、草だと一部でも枯れてしまうとそれで倒れてしまうわけだけど、木の場合は木質化しているので細胞は死んでも倒れないと言うことなのだ。
この定義の場合は、竹も死んだ細胞が生体を支えているので木になるんだって。
というわけで、けっこう境界はあいまいなのだ。
バナナなんかの場合は、太い葉っぱが合わさっただけで木じゃないってすぐわかるんだけどね。

で、この「木質」として重要な物質がリグニン。
木材の20~30%はこの物質で、木材を木材たらしめているものなんだよ。
つまり、木らしさの素なのだ。
紙は木の繊維質を並べて加工したものだけど、木材からパルプ・紙を作る工程ではこのリグニンは可溶化されて黒液として出てくるのだ。
むかしは燃やす以外用途はない、となかば邪魔者扱いだったんだけど、今ではバイオ燃料として注目を集めたりしているんだよ。
時代が変わると評価も変わるものなのだ(笑)

リグニンはバクテリアには分解されなくて、白色腐朽菌(カビの一種だよ。)のみによって分解されるのだ。
いわゆるキノコのことで、枯れ木にキノコが生えてくると木がぼろぼろになるのは、木のかたさを保っているリグニンが分解されてしまうからなんだ。
でも、キノコにしか分解されないから、いつまでもかたさを保てるというわけ。
なので、木材で作った寺院が千年以上もその姿を留めたりできるわけなのだ。
湿気が多かったりするとカビがはえてきて腐ってしまうこともあるけど、風通しに気をつけていれば、法隆寺のようにとっても降る域が今でもきちんと残っているということにもなるんだよね。
これはなかなかすごいことなのだ。

むかしの日本家屋は、屋根をわらやかやでふいていたわけだけど、草の場合は普通に腐食してしまうのでふき替えの作業が必要だったのだ。
一方、木でできた家の本体はそのままなんだよね。
囲炉裏からの煙でいぶされることである程度は腐食が防げるんだけど、それでも数年~10年に一度はふき替える必要があるのだ。
かつては村の人が総出で助け合いながらふき替えをしたそうだよ。
今では過疎化が進んでしまって、屋根のふき替えもままならないらしいのだ。
板ぶきや瓦ぶきならふき替えの必要はないわけだけど、かやでふくと熱気や湿気がこもらなくて日本の風土に合っているみたいなんだよね。
木と草の性質をよく踏まえた上で、うまく使っているというわけ。
そういう伝統・文化はできれば残していきたいものなのだ。

2008/06/21

おおはらえ

この時期に神社に行くと大きな茅の輪があるのだ。
まず左回りにくぐり、続いて右回り、左回りにくぐるものなんだよね。
この茅の輪をくぐると疫病を逃れるとも言われているのだ。

で、これは大祓(おおはらえ)の神事で、6月末と12月末の年2回の神事なのだ。
6月のものは夏越(なごし)の大祓、12月のものは年越の大祓というんだよ。
むかしは旧暦に行っていたから梅雨の時期じゃなくてもっと夏真っ盛りの時期だし、冬も雪が降っているころで、そういう季節の折り返しみたいな意味もあったのかもね。

その歴史は古くて、なんと701年の大宝律令で宮中行事として定められたんだとか。
その後、応仁の乱のころまで続いていたらしいんだけど、その後江戸時代までには廃れてしまったんだとか。
でも、明治になって王政復古・国家神道の時代になると、古い宮中行事が復活してきて、大祓も再び行われるようになったそうだよ。
そのおかげで今もこの風習があるというわけなのだ。
ま、一回廃れているから、むかしのものとは微妙に変わっているんだろうけど。

この茅の輪をくぐるのは、鎌倉中期の釈日本紀の中に見られる備後国風土記逸文に出てくる「蘇民将来」の伝説に基づくのだ。
あるとき、貧乏な風体の男が旅をしていたんだけど、夜になって宿を乞うたのだ。
そのとき、裕福だった弟の巨旦将来さんは男の風体を見て断ったんだけど、貧乏でも人のよかった兄の蘇民将来さんは泊めて上げたのだ。
すると、実はこの貧乏そうな男は神様で、優しくしてくれた蘇民将来さんの子孫に福を与えるとして、腰に茅の輪を着けていたら疫病から免れるようにしてあげた、というものなんだ。
この神様は一説に素戔嗚尊と考えられていて、素戔嗚尊は祇園さんこと牛頭天王と同一視されていて疫病の紙と考えられているのでそうなっているのだ。
で、茅の輪をくぐると厄が祓われて、疫病を免れるというわけなのだ。

この蘇民将来さんの伝説はどうも全国に広がっていたらしく、あのポスターで話題になった岩手県の裸まつりは蘇民まつりでこの伝説と関係したものなんだよ。
むかしはお医者さんもろくにいなかったし、感染症の概念もあんまりなくて疫病は大きな脅威だったから、非常に重要なものだったんだよね。
かつての日本社会では一に豊作、二に疫病払いといったものが重要な神事でのお祈り事項だったわけだよね。
なんだか今年は異常気象で米国西部では穀倉地帯が被害を受けているし、中国の四川大地震では衛生環境が悪くなって感染症が脅威になっているというけど、今の時代でもそれは大事なことなんだよね。
なんだか日本にいるとわりと何でも手にはいるので気づきにくいけど。

2008/06/15

タルトとガトー

こじゃれた店だと、ケーキと言わずにタルトとかガトーとか言うよね。
どっちもフランス語なのだ。
なんとなくスイーツ(笑)の雰囲気もあるけど、フルーツ・タルトやガトー・ショコラなんかはかなり浸透している名前なのだ。
ボクが子どものころはケーキと言えばショートケーキで、それ以外のものを見ることはまれだったけど、時代はだいぶ変わったのだ。

そこで気になったのが、タルトとガトーの違い。
調べてみると、タルトはサクサクしたパイ生地(本当はタルト生地)にクリームやフルーツを載せたもので、ガトーはスポンジ生地をベースにクリームなどをぬったものだそうなのだ。
タルトの起源は古くて、古代ギリシアや古代エジプトにあると言われているそうだよ。
クリームやジャムを食べるとき、そのままでは液状で食べにくいので、一緒に食べられる台の上にのせて食べたのがはじまりなんだとか。
なので、主役は上に乗っているもので、下の生地はそれを支えるためのものということになるのだ。
確かに、タルトと呼ばれるのはそういうものが多いよね。
でも、ボクなんかはあのサクサクの生地がわりと好きだったりするけど(笑)

ガトーはいわゆる家気で思い浮かべるものだけど、スポンジケーキにクリームをぬった単純なものよりは、チョコレートを練り込んだしっとり感のあるスポンジケーキをつかったものや、スポンジケーキの中に何層もクリームや果物がはさんであったりという手の込んだものを想像するよね(笑)
さらに、ケーキというと広い意味でタルトやロールケーキなども含む広義の西洋菓子を指すので、そこもちょっと違うのかも。
これは日本語のケーキという言葉の使い方が特殊なのかもしれないけど。
今で言うスイーツみたいな感じで使っているからね。

ケーキはスポンジケーキに様々な装飾をしていくわけで、このスポンジケーキが主体なのだ。
なので、スポンジケーキの作り方にも気を遣うわけで、シフォンケーキのようなものすごくふんわりさせたものや、しっとりしたもの、サクサクした食感のものなどいろいろ種類があるよ。
これはtくりかたの違いで、イーストで発酵させたり、重曹でふくらませたりと作り方がかなり違うのだ。
卵を入れるのにもメレンゲにして泡立ててから混ぜればふんわりするし、バターをたっぷり入れると重い感じになるのだ。
ボクはふんわり系も好きだけど、しっとり系のねっとりした感じのケーキが好きかも。

ちなみに、愛媛の名物の「たると」は薄いスポンジケーキに餡を巻き込んだものなのだ。
語源はトルテで、もともとはジャムをまいたロールケーキ名ようなものが南蛮渡来で伝わって、それを和風にアレンジしたものみたい。
トルテはタルトと語源は同じなんだけど、今ではすっかり違うものになってしまったよね。
今では同じ「タルト」だからややこしいのだ。
ま、四国の人以外なら話が混乱することはないけどね(笑)