2008/10/25

塩と油とせんべいと野菜と

お菓子大好きなボクが好きなお菓子のひとつがおせんべい。
特におかきとサラダせんべいが好きなのだ!
しょうゆせんべいも好きなんだけど、あれってしょっぱいからそんなにいっぱい食べられないんだよね。
塩味のおかきとかサラダせんべいならいくらでもいけるのだ。
あんまり食べ過ぎると太っちゃうけど(笑)

で、気になったのは「サラダ味」とは何か。
いろんなものにサラダ味ってあるけど、サッポロポテトを除いては野菜の風味はないよね。
でも、サラダ味というとこれっていう塩味が思い浮かぶのでふしぎなので。
さっそくその謎を探ってみると、なんと、あっという間に答えが見つかったよ。

サラダせんべいの大手、亀田製菓のサイトの「よくある質問」に書いてあったのだ!
サラダ味のサラダはサラダ油のことで、従来のおせんべいは炭火で焼きながらしょうゆをぬったりしていたわけだけど、サラダせんべいはそれをサラダ油で揚げて塩をまぶしたものなんだ。
すると、独特のサクサクした感じとこれまでの固い食べ物というイメージを払拭した軽い食感ができたのだ。
おかきは油で揚げた餅菓子だったけど、せんべいの形でそれを作ったのがみそだよ。
また、せんべいの形だとうすいから、おかきのようにかちかちにもならないのだ!
これは戦後のことで、まだサラダ油は高級なイメージだったこともあって、おしゃれな洋風せんべいとして広まったそうだよ。
もちろん、日本にしかない純日本菓子なんだけど(笑)

サラダの語源はラテン語の塩を意味する「sal」という言葉で、これは給料を意味する「salary」の語源でもあるんだよね。
当時は塩は貴重で、ローマの兵士には給料として支給されていたらしいのだ。
こしょうがもたらされるまでは欧州では調味料と言えば塩で、肉でも魚でも野菜でもなんでも塩味だったのだ!
サラダも、今ではシーザーサラダとかいろんなドレッシングがあるけど、むかしは塩味が基本。
そこに油が加わるくらいで、肉料理や魚料理と違ってより塩の味が重要だからそれが語源なんだろうね。

一方、日本の場合は「肥」を使っていたこともあって、スイカやウリなどの果物っぽいものを除いては野菜を生で食べる習慣はなかったんだよね。
これは寄生虫の卵とかがたくさん表面についてしまっていて、それは水で洗った程度では落ちないからなのだ。
そこで発達したのが漬け物。
西洋の人がサラダで野菜を食べるように、日本では漬け物や煮物で野菜を取っていたんだよ。
でも、そうするとどうしてもビタミンが不足するんだけど、糠漬けにすることでぬかに含まれるビタミンB類を摂取することが重要だったのだ。
江戸時代には玄米じゃなくて白米を食べるようになったこともあって、ビタミンB不足で「かっけ」が流行したんだけど、糠漬けを食べるようになったことでかなり解消したらしいよ。

それと、サラダ油というのは日本独自の概念なんだ。
サラダ油はオリーブ油、コーン油、大豆油などの原料名から来る名前ではなくて、サラダに適した油という意味の使用目的から来る名前なんだよね。
日本の場合は日本農林規格(JAS)で、原料や製造方法が決められているんだって。
一般には、植物性油脂で、低温でもかたまりにくく液状を保てないとサラダに使えないので、そういう油のブレンドなのだ。
最近では、○○油という形で原料指定の油を使うことが多くなってきたけど(これは健康によりキャノーラ油とか紅花油、中華風にごま油、イタリア風にオリーブ油と油を選ぶようになったからだろうね。)、むかしは料理に遣う油と言えば、サラダ油か業務用に使われるラードだったんだよね。
で、洋食が家庭でも食べられるようになったとき、必然的にサラダ油を使っていたので、サラダ油というと余色のイメージがつきまとっていて、それがサラダせんべいのイメージ形成にも大きく影響しているのだ。

2008/10/18

黒くて甘いやつ

今日、お散歩で靖国神社に行ったら、ひさびさに「純ちゃんの黒糖改革まんじゅう」をみかけたのだ。
それで思い出したんだけど、最近は沖縄健康食ブームで黒砂糖をよく見かけるし、黒糖・黒砂糖も身近になったのだ。
独特の風味があって苦手にする人もいるけど、そのまま塊をなめてもなかなかおいしいよね。
でも、砂糖とどう違うのかよくわからなかったので、少し調べてみたのだ。

砂糖の原料は大きく分けてふたつで、暑い地方でとれるサトウキビと、寒い地方でとれるサトウダイコン(テンサイ)なのだ。
テンサイはしぼることができないので、千切りにしたものを温水に浸して糖分を溶出させ、それを煮詰めた後に濾過して不純物を取り除いてから真空状態で濃縮するそうだよ。
温水に溶け出させているだけに糖分の量は少ないから、真空濃縮しないといけないようなのだ。
最後に出てきた結晶を集めて、さらに精製して白い砂糖にするのだ。

一方、サトウキビの場合はとりあえず絞り汁を取って、それを煮詰めていくのだ。
すると、ドロドロの茶色い液になるんだけど、そこに石灰を加えて不純物だけを沈殿させて取り除いてから固めたのが黒砂糖。
精製をまったくしていないので糖以外の成分が多く含まれているのが特徴。
鉄分やカルシウムなどのミネラルや、アミノ酸などのうま味成分もあって、これが健康食品たる由縁で、かつ、独特の風味・うま味のもとなのだ。
砂糖を精製するときに取り除く糖蜜(廃糖蜜)を除いていないので、細かく砕いてもすぐにくっついてしまうのも特徴なのだ。
ブロックで売られているのはこのためだよ。

で、そのまま固めるんじゃなくて、いったん糖を結晶化させてから遠心分離で廃糖蜜を取り除いたのが粗糖。
結晶の粒子の小さいものは赤ザラメと呼ばれるのだ。
ちなみに、ザラメは結晶化させた後にカラメルを加えることで茶色くしているものだよ。
精製度が全然違うのだ。
で、古典的な方法で粗糖を作るのが四国名物の和三盆。
糖液を煮詰めて不純物を取り除いた後、結晶化させるんだけど、この段階ではまだまだ多くの糖蜜を含んでいるのだ。
そこで、粗結晶を砕いて「研ぐ」という工程を入れ、それを麻の袋に詰めると黒い糖蜜がしみ出てくるんだって。
こうしてさらに糖蜜を抜いてうっすら黄色みがかった結晶にまで精製したものが和三盆で、これは江戸時代にはかなりの精製度の上等なお砂糖だったんだよ。
ちなみに、お盆の上で三度ほど粗結晶を「研ぐ」ので和三盆というそうだよ。

遠心分離で糖蜜を除いた粗糖をそのまま使うのがブラウンシュガーで、さらに粗糖を溶かして不純物を除き、濃縮・結晶化させて得られるのが最終形の上白糖。
上白糖を作る過程で取り除いた糖蜜を再利用し、さらにそこから糖分を結晶化させてとるのが三温糖。
結晶を得るまでに数度熱を加えるので三温糖というんだけど、その過程で一部の糖がカラメル化するので茶色いのだ。
カラメルがある分だけ甘みを強く感じ、風味もよいとされて煮物などに使われるのだ。

で、砂糖を取る際に出てきた廃糖蜜は捨てるものではなくて、そのまま甘味料として使ったり、発酵させてアミノ酸(特にうま味調味料として使うグルタミン酸)をとったり、工業用アルコールの原料にしたりするのに使われるのだ。
ちなみに、くず餅なんかにかける黒蜜はこの糖蜜じゃなくて、黒砂糖を水煮とかしてから煮付けてとろみをつけたものだよ。
で、さらに最近では、廃糖蜜を発酵させてバ作るアルコールをイオエタノールとして使う需要も増えていて、それで砂糖の価格も上昇しているといわれているのだ。これは、バイオエタノールにした方がもうかるので、そもそも廃糖蜜だけじゃなくて、サトウキビ自体をバイオエタノールの原料にするからなのだ!
トウモロコシも食糧として売るよりバイオエタノールにする方が商品価値が高まるということで同じような現象が起きているよね。

ということで、砂糖の精製に沿っていろんな砂糖を見てきたけど、これはなかなか興味深いねぇ。
塩も最近は電気分解で化学的に作るけど、むかしながらの塩田で作る天然塩の方がカリウムなどのミネラル分が豊富で人気があるよね。
確かに工業的に作った方が大量に作れるし、精製度も上がるわけだけど、黒砂糖や、せいぜい和三盆くらいのローテクの方がよい感じがするのだ。
でも、今ではその方がかえって高いんだけど(笑)

2008/10/11

学術の殿堂

まだ最後の経済学賞が残っているけど、今年は日本人受賞者が4人も出てすごかったねぇ(物理学賞の南部先生は米国籍だけどね。)。
それにしても、物理学賞・化学賞のダブル受賞は平成14年の小柴先生・田中耕一さん以来!
受賞自体もそれ以降出ていなかったからめでたいことなのだ。
新聞なんかでもわりと特集されているけど、ボクもちょっとノーベル賞について調べてみたよ。

ノーベル賞はダイナマイトを発明し、巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベルさんの遺言に基づいて創設された賞で、20世紀が始まった1901年から続いているのだ。
ノーベルさんは、自分が発明したダイナマイトが後に平気などの軍事利用につながったことを憂え、科学などの分野で平和に貢献した人を顕彰したかったわけ。
で、創設されたのがノーベル賞で、最初は、物理学、化学、医学・生理学、文学、平和の5部門なのだ。
米国人が主に取ることで知られている経済学賞は後から設けられたもので、正確には「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーで銀行賞」という別物。
1968年に創設され、1969年に第1回受賞者が出ているのだ。
自然科学の物理学、化学、医学・生理学賞は学術分野の世界最高の栄誉と言われているよね。
でも、なぜかここには数学が含まれていないのだ。
遺言になかったからみたいだけど、理由はよくわからないんだよね。
一説には、ノーベルさんが数学者を嫌っていたから、なんて言われているみたいだよ(笑)

ノーベルさんの遺産はノーベル財団によって管理されていて、その資産運用益から職員の給与などの財団の運営経費、受賞者への賞金、授賞式の経費などのノーベル賞の制度運用経費が出されているのだ。
受賞者への賞金は、現在は1,000万スウェーデンクローナらしいけど、今回の金融ショックで財団もかなりのダメージを受けているので来年から減らされるかも、と言われているのだ(>_<)
でもでも、経済学賞は別の賞なので、このノーベル財団の基金ではなく、スウェーデン中央銀行の基金でまかなわれているんだって。

受賞者の選考は、自然科学3部門と経済学賞はスウェーデン王立科学アカデミーが、医学・生理学賞はスウェーデンのカロリンスカ研究所が、文学賞はスウェーデンの学士院のスウェーデン・アカデミーが、平和賞は隣国のノルウェーの国会が選考しているんだ。
特に、ノルウェー国会が平和賞の受賞に当たるのにはノーベルさんの平和にかけた思いの表れなんだよ。
選考過程には謎の部分も多いんだけど、事前に著名な科学者・文学者に推薦を募り、ある程度絞り込みをしてからアカデミーなどで5人といわれる選考委員が決めていくのだ。
でも、その選考過程は50年後じゃないと明らかにされていないことになっていて、今の時点ではやっと湯川秀樹博士が選ばれた理由がわかったり、北里柴三郎博士がなんどか候補者にあがっていたことがわかっているくらいなのだ。

例年発表は10月、授賞式は12月なんだけど、ノーベル賞は発表の時点で生存者であることがひとつの条件というのも特徴なんだよ。
すごい業績があってもその時点で生存していないとダメなのだ(授賞式までになくなっても取消にはならないんだって。)。
複数人の受賞も文学賞以外では可能で、3名以内。
受賞内容と貢献度で償金は均等に分けたり、一人だけ多くなったりするのだ。
今回の物理学賞だと、南部先生が1/2、小林先生と益川先生は1/4で、化学賞の場合は下村先生と他の二人もそれぞれ1/3ずつなのだ。
平和賞だけは団体による受賞も可能で、過去には国境なき医師団が取っているし、昨年は国連の気候変動に関する政府間パネルとアル・ゴア元米国副大統領が受賞したよね。
ノーベル賞の選考にはむかしから欧米の人が多いという批判があるんだけど、それもあって最近では特に地域バランスも強く考慮されていて、それで受賞年度が前後するようなこともあるみたい。
でも、経済学賞だけはどうしても研究者が米国に偏っているから難しいんだよね。
これからはきっと文学賞も含めてアジアの受賞が増えると考えられているよ。

このノーベル賞をパロディしているのが一部では有名なイグノーベル(Ig Nobel)賞。
「ignoble」には「あさましい」なんて意味もあって、それも引っかけているのだ。
1991年の創設で、風変わりな研究、おもしろい研究などに与えられる賞で、時には社会風刺や皮肉も込めて与えられるんだ)仲でも「平和賞」は皮肉なのが多いよ。)。
ノーベル賞と違って固定の部門はなくて、その時々に応じて「○○賞」が名付けられるのだ。
基本的には、本人はいたってまじめにやっているのに笑わせてくれるような内容の研究、ほほえましい研究などに与えられるのだ。

日本人の受賞者としては、たまごっち、バウリンガル、ドクター中松の頭脳パン、カラオケなどで、本家のノーベル賞よりもはるかに多く受賞しているよ(笑)
日本人のセンスが理解されているの、欧米の人からばかげた研究に見えるのか、判断に困るよね(笑)
多くの人は怒って授賞式に出ないんだけど、授賞式は毎年10月にハーバード大学で行われているのだ。
受賞者の滞在費・旅費などは自己負担で本家とは全然待遇が違うし、受賞スピーチでも笑いをとらないと行けないという高いハードルがあるんだって。
ノーベル賞の授賞式の後の記念講演とはえらい違いだね。
今年はノーベル賞でも躍進したので、こっちでもぜひぜひ日本人のセンスを光らせたいものなのだ。

2008/10/04

ふっとんだ

今日は体調がすぐれなくて1日ふせってたんだけど、布団の中ってふかふかであたたかくて気持ちいいよねぇ。
これからもっと寒くなるとますます出られなくなるのだ。
ボクは個人的にはある程度重さがある方がしっくりくるので、綿の布団が好きなのだ。
羽毛布団もよいけど、軽すぎると葉がした後にすぐにどっかいってしまって、それで朝寒くなるから、重い方がよいのだ(笑)

そんな布団だけど、むかしは「蒲団」と書いていたんだよね。
田山花袋さんの小説でもこの字になっているのだ。
これは、もともと蒲(ガマ)を丸く編んだ敷物のことを指していたからなんだって。
今でいう座布団みたいなものが布団のはじまりだったんだねぇ。
で、素材の蒲を丸く編んだものだから蒲団で、この「団」は丸いものを表すのだ。
団扇(うちわ)、団子、団らん、大団円の「団」と同じだよね。

ちなみに、座布団は鎌倉時代あたりに登場したそうで、それまではい草なんかを丸く編んだ円座」を敷いて座っていたみたいなんだけど、権力者がその象徴として人より一段高く座れるようにしたものだそうだよ。
それまでは小さな四角い畳(百人一首の絵に描いてあるやつだよ。)を使っていて、それを持ち運びできるようにしたんだって。
それが江戸時代になると布に綿を詰めたものになり、偉い人だけじゃなくて一般にも広まっていったんだとか。
そのころには座るときに正座をするようになっていたのも普及の一因かもね。

布団といえば、天気のよい日に干すとふかふかになって気持ちよくなるよね。
これは布団にしみ込んだ汗などの水分を飛ばすことが一番の目的なのだ。
さらに、布団干しには殺菌の効果もあるんだけど、この時によく布団をたたくのだ。
むかしは布団をたたくことでダニを追い出し又は殺し、綿をふかふかにする、と考えられていたんだけど、どうもそうじゃないみたい。
ダニはそんなことにはあまり影響は受けないし、綿もたたくと固くなるだけなので、ふんわりと干して表面のほこりだけはらい、あとは布団の表面を掃除機で吸ってあげたりするのがよいみたいだよ。

ずっと敷きっぱなしのふとんは万年床と呼ばれるけど、そうなると布団の中の綿はつぶれてしまってせんべい布団になるんだよね。
もともとは綿の繊維の中にたくさんの空気が含まれていて、それでふわふわ感と断熱効果があってあたたかくなるんだけど、その効果がなくなってしまうのだ。
つまり、せんべい布団はふかふかの布団に比べると保温効果が低いのだ。
こうなると干したくらいではダメで、布団の打ち直しというのが必要なのだ。
最近ではほとんど見かけないけど、布団の中の綿を一度出して、かたまった綿を温めながら小さく刻んでくのだ。
これをざっくりと混ぜていくとまた綿の中に空気が含まれるようになってふかふか感がよみがえるというわけ。
途中で温めることで雑菌やダニを殺したり、水分を飛ばす効果もあるよ。
でもでも、布団の打ち直しでかなり状態は改善するけど、綿の繊維は打ち直すと短くなってしまうし、新品の布団ほどにはふわふわ感はなくて、また、より短い期間でつぶれてしまうのだ。
でも、むかしはものを大事にしたから、何度も打ち直して大事に使ったみたい。

今は布団が平たく、固くなると買い換えてしまうことが多いので打ち直しをしないけど、それ以上に、羽毛や羊毛、化学繊維などを使った布団を使うようになったのも原因なのだ。
不毛の場合は羽のふわふわがつぶれてしまうともほぼ再生はできないからまず買い換えるしかないんだよね。
羊毛や化学繊維の場合は原理的には打ち直しはできそうだけど、そこが植物性繊維の綿と動物性繊維の羊毛、化学繊維の違いのような気がするのだ。
まず、タンパク質である羊毛や化学繊維は熱に弱いから綿のように温めながら、というわけにはいかないんだよね。
細かく刻むにしても、羊毛や化学繊維は長い繊維が縮れることでふわふわ感を出しているので、繊維が網目状に重なり合ってふわふわ感を出している綿とは違ってほとんどふわふわ感がさいせいしないのだ。
というわけで、やっぱり布団の打ち直しには向いていないんだよね。
そこを考えると、綿の布団っていうのは偉大だねぇ。

2008/09/27

目黒の名物?

今日はお散歩で目黒界隈を歩いたのだ。
目黒といえば、やっぱり思い出すのは「目黒のさんま」だよねぇ。
本当に名物だったのはタケノコらしいけど・・・。
ちょうどめっきり気候も秋っぽくなってきて、サンマがおいしい季節だし、ちょっとサンマについて調べてみたのだ。

サンマはやっぱり細長いダツやサヨリの仲間で、似ているような気がするイワシとはそんなに近縁でないみたい(イワシはニシンの仲間だよ。)。
細い柳葉型で銀色に輝くので刀に例え、秋に特においしいので漢字では「秋刀魚」と書くんだよね。
秋刀魚は日本海から北太平洋の北米沿岸・メキシコ沿岸までの広い海域を回遊しているらしいんだけど、日本で水揚げされるものは夏の間オホーツクのあたりにいて、それが秋に産卵のためになんかしてくるものだそうなのだ。
産卵前なので特に脂がのっていておいしいというわけ。
落語の「目黒のさんま」では、殿様に気を遣って油を徹底的に落としてしまったからぱさぱさでおいしくなくなっちゃったんだよね。

サンマのうろこはとても小さくて、かつ、はがれやすいので、水揚げのときにほとんど外れてしまうそうなのだ。
なので、買ってきてそのまま塩をして網焼きしてもおいしいというわけ(好き嫌いはあるけど、サンマの肝が好きな人は多いよねぇ。)。
最近は流通が迅速化して新鮮なものが都心でも手にはいるようになったのでお刺身なんかもあるけど、サンマといえば塩焼き、開き、蒲焼きなんかがおなじみなのだ。
青魚で傷みやすいから、なかなか生食はできなかったんだよね。
なので、酢で締めてサバ寿司のように押し寿司にも使われていたようなのだ。
ボクが食べるときはほとんど塩焼きに大根おろしだけど、蒲焼きも甘辛くするとごはんに合うんだよね。
けっこう給食では好きなメニューだったのだ。
その他、あまり脂ののっていない時期に捕ったサンマを丸干しにすることもあるんだって。
この丸干しサンマから取れる出汁はかなりおいしいらしいよ。

鮮度のよいサンマを見分けるコツとして知られているのは次の3つ。
尾を持って頭を上にして縦にしたとき、曲がらずまっすぐに立つのは鮮度がよい証拠。
これはまだ身の筋肉の自己融解が始まっていない、ということなのだ。
ま、多少自己融解が進んだ方がアミノ酸が出てきてうまみが出るんだけど(牛の場合は2週間ほど熟成させたりするよね。)、魚の場合はそのときにくさみのおとになる不飽和脂肪酸も出てきてしまうので、うまみを出したいときは干物にするのだ。
それから目がにごっていないことも大事だって。
これは他の魚でも共通だね。
最後は口先がほんのり黄色いことだそうだよ。
これは見慣れてないとわかりづらいから、やっぱり先の2つで確かめるのがよいかな?

「目黒のさんま」の落ちは、鮮度のよい日本橋魚河岸から取り寄せたサンマでも、気を遣いすぎて油をぬいたり小骨を取ったりしてしまうとぐずぐずになってまずくなってしまい、海から遠い目黒のサンマの方がおいしく感じたってことなんだよね。
江戸時代は脂ののった魚は下魚として扱われ、庶民は食べたけど上流家庭では食べなかったことも影響しているのだ。
高級魚はタイなどの白身のあっさりしたもので、マグロやカツオ、サンマ、イワシなんかは庶民しか食べない魚で、マグロのトロなんかは脂がのりすぎていてしつこいと捨てられていたらしいのだ(>_<)

そこで気になるのが、目黒のサンマは本当はおいしかったのか?、だよね。
きちんと考えている人がいて、実はおいしかったんじゃないかと言われているみたい。
それは、サンマは塩を振ってから2~3時間後くらいがちょうど食べ頃になるそうなんだけど、芝浦などで水揚げされたサンマに塩をふると、目黒まで徒歩で来るのにちょうど2~3時間かかるらしいのだ。
なので、売りに来たのを買って焼けばちょうど食べ頃というわけ。
なかなかよくできた話だけど、実際はどうだったんだろうねぇ。
流通が今みたいに発達してなくても、そういう風にうまく回っていたとすると、案外都市部でもおいしい魚を食べられたのかもしれないね。

2008/09/20

春と秋で名前を変えろ!

ボクは和菓子が好きなんだけど、中でもけっこう好きなのはおはぎ。
ちょうどお彼岸の入りで街中でよく見かけるようになったよね。
完全なおもちでもよいのだけど、まだつぶれていない粒が残るおはぎの独特な感触がまたよいのだ。
甘過ぎないのもいいよね。
で、気になったのが、ぼた餅とおはぎの違い。
はっきり言って同じようなものだけど、ひょっとすると何か違うかもしれないと思って調べてみたのだ。

するとわかったのは、結論的には、基本として同じものということ。
どうも、春のお彼岸では、その季節がら咲く「牡丹」にちなんで「ぼた餅」(漢字では「牡丹餅」)と読んで、秋のお彼岸には秋の花の代名詞のハギにちなんで「はぎの餅」とか「おはぎ」と呼ぶようになったそうなのだ。
同じものだけど、季節に合わせて名前を変えているなんてなかなかおしゃれだよね!
地域によっては、完全におもちにしてからあんこにくるむのをぼた餅、半つぶしの状態でつつむのがおはぎ、としていたり、あんこをつけるのがぼた餅で、きなこをつけるのがおはぎ、と区別している例もあるようなのだ。
でも、たぶんは後付けの区別で、おそらく最初は季節による呼び方の違いだけだったんだろうね。
むかしはお米も砂糖も貴重なものだから、井悲願とかのイベントじゃなきゃ食べられなかったろうし、そういう季節との結びつきがより強かったはずなのだ。

ぼた餅は、もち米とうるち米を混ぜて炊き、それを完全に飯粒がつぶれないように半分だけつぶして、食べやすい大きさに丸めてからあんこをつけて作るのだ。
つぶし方は秋田名物のきりたんぽと同じだけど、きりたんぽはうるち米のみなのでわりとぼそっとしていて、ぼた餅の場合はもち米が掃いているのでよりもちもちした食感になるのだ。
ただのおにぎりにあんこをつけてもぼた餅に似た感じにならないのはこのためだよ。

ことわざでは、思わぬ成果を、期待していなかったうれしいことを「棚からぼた餅」なんて言うけど、むかしはそれだけぼた餅がごちそうだったのだ。
もともと甘いものは貴重だったわけだけど、白飯じたいが貴重だったむかしには輪をかけて大ごちそうなのだ!
なので、春と秋のお彼岸にお供えし、そのお下がりをごちそうとして食べていたようなんだけど、それ以上に農村部で重要だったのは、田植えや稲刈りといった、村をあげた共同作業のときのごちそうという位置付けなのだ。
今ではコンビニでも帰るけど、むかしは年に数回しか食べられないような貴重なものだからこそ、思わず「棚からぼた餅」はうれしかったはずなのだ。
今は物流が発展してるし、温室なんかも発達していつでも野菜や果物が食べられるようになったからそういうのが薄れてきているよね・・・。
そういうところは残念なのだ(>_<)

2008/09/13

何の最中?

ボクはけっこうお菓子の最中が好きなんだよね。
栗は食感が変わるのでない方がよいのだけど、おもち(求肥)は大歓迎なのだ(笑)
アイス最中もけっこう好きで、その場合はさくさくぱりぱりよりは、少し湿っている方が好きだったりするんだよね。
もちろん、ふにゃふにゃはダメだけどね。
で、そんな最中について調べてみたのだ。

最中はもち米の粉を水で練って蒸してから薄くのばして焼いた皮の中にあんこを詰めたものだけど、もともとは薄くのばした後に円形に切りそろえ、砂糖をまぶした干菓子の一種だったんだって。
江戸時代になると間にあんこをはさむバージョンが考案され、そこから今の最中ができてきたそうなのだ。
現在よく見かける形になったのは明治以降ということなので、けっこう新しいお菓子みたい。

名前の由来は、拾遺和歌集にある源順(みなもとのしたごう)さんの「池の面に 照る月なみを 数ふれば 今宵ぞ秋の もなかなりける」という歌だそうで、この歌を知っていたお公家さんたちが、月見で出された円形の干菓子を見て「もなかの月」と名付けたんだそうだよ。
江戸時代に考案されたあんこをはさんだものもこれを引き継いで「もなかの月」と呼ばれていたそうだけど、今の形に近づくにつれて円形ではなくなっていったので、「月」がはずれて単に「もなか」になったようなのだ。

今の最中はもち米の粉を練って蒸したものをローラーを使って数mmの薄さにまで伸ばし、それを型に入れて両面から焼くんだって。
この方の形で四角かったり丸かったりいろいろな形になるし、表面に字や絵なども入れられるのだ。
最近では伸ばさずに練ったものをそのまま焼き型に流し込む製法もあるんだって。
で、この皮を焼いていくと、型からはみ出るまでふくらんで、それで独特のさくさく感が出るのだ。
これはおもちが焼くとふくらむのと同じで、中の水分が水蒸気になって体積が急激に膨張し、それでウェハース上の泡が入った構造になるのだ。
これがさくさく感の正体。
で、最中の場合はこのさくさく感が失われないように、他のお菓子に比べてあんこの水分量を少なくしているんだって。
確かに、どら焼きなんかだととろけるようなあんこを使うけど、最中はもっとねっとりしたものが多いよね。
お菓子屋さんの中には目の前で皮にあんこを入れてくれるところもあるのだ。

西洋でもバニラアイスをコーンやウェハースに載せたりするけど、これを和風にアレンジしたのがアイス最中。
あんこの代わりにアイスをはさんだだけだけど、アイスの場合は冷やしておく限りは水分が氷としてかたまっているので、最中の皮のさくさく感が保てるのだ。
これはなかなかのアイデアだよね♪
でも、ずっとそれを維持できるわけでもなくて、流通経路で外に出したときなんかは少しアイスの表面が溶けて、その水分が皮にしみてやわらかくなってしまうのだ。
買ってから時間がたつとそれがさらにひどくなるよね(>_<)
ま、ボクの場合は少しふにゃふにゃなくらいで、ギリギリでさくっと割れるくらいの感じが好きだけど(笑)