2014/11/29

川口「はやぶさ」探検隊

いよいよ小惑星探査機「はやぶさ2」の打上げが迫ってきたのだ。
予定どおり打上げが行われれば、明日の昼過ぎには宇宙に飛び出すんだよね。
そして、東京五輪開催と同じ2020年にまたもどってくるんだ。
前の「はやぶさ」は2010年にもどってきたから、その10年後にまた宇宙から小惑星のかけらがデリバリーされるかもしれないというわけ。

前回の「はやぶさ」はよく「小惑星探査機」と言われるけど、実験計画上は「工学実証機」で、イオンエンジンや化学スラスタなどの工学技術が長期にわたる新宇宙探査で本当に使えるかどうかを試す実験だったのだ。
その意味では、小惑星イトカワの性質を光学的手法で分析したり、そのかけらをお持ち帰りしたりした理学的な成果は「エクストラ・サクセス」ということなんだよね。
「はやぶさ」はのミッション名はMUSES-Cだけど、これはMu Space Enginnering Spacecraft Cの略で、ミュー・シリーズの固体ロケットで打ち上げられる宇宙工学実証衛星のCということなんだ。
ちなみに、MUSES-Aは日本の科学衛星ではじめて月探査をした「ひてん」、MUSES-Bは傘状の特徴的なアンテナを持つ電波天文観測衛星の「はるか」だよ。
「ひので(SOLAR-B)」の打上げでミュー・シリーズ最後のロケットだったM-V(ミュー・ファイブ)が退役したので、「はやぶさ」が最後のMUSESだったのだ。

今回の「はやぶさ2」は「はやぶさ」が実現した無人探査機による地球近傍小惑星探査の実績を踏まえ計画された正真正銘の小惑星探査計画で、そのために「はやぶさ」で発生した不具合などの対策がしっかり盛り込まれ、確実に行って帰ってきて、かつ、高確率でサンプルを持ち帰れるように工夫がされているんだ。
ほぼ同型機を打ち上げるわけではないんだよ。
見た目的にも、「はやぶさ」は大きなパラボラアンテナを一つ背負っていたのに対し、「はやぶさ2」は平面型の2つのアンテナを持っているんだ。
アンテナ一つが「はやぶさ」、2つが「あやぶさ2」と覚えるといいよ(笑)
2つになってもパラボラアンテナより平面アンテナより軽く、熱も集めないのでメリットが大きいらしいよ。
それに、今回は高速通信ができる高周波数帯に対応したアンテナがあるので、小惑星探査をした結果をより早く地球に送れるんだって。

他にもいろいろ進化しているんだけど、何より、打上げロケットがM-VからH-IIAになったことで、ちょっとだけ重くすることができるようになったのだ。
なので、搭載をあきらめていたようなミッション危機も積み込めるようになったんだよね。
燃料費込み込みでの衛星の重量は「はやぶさ」が510kgで、「はやぶさ2」が600kgと約2割増。
さらに相乗り衛星もあるしね。
大きさも、縦×横は1m×1.6mで同じなんだけど、奥行きは1.1mから1.25mになっているのだ。
前回は投下に失敗してしまったローバー(MINERVA)についても後継機が搭載されるんだけど、今度はMINERVAII1とMINERVAII2と2種類。
しかも、ドイツの小型着陸機(MASCOT)も同時に搭載されるよ。
やっぱり重量的に余裕があるんだねぇ。

「はやぶさ2」に一番期待される「サンプル・リターン」についても更なる工夫があるのだ。
前回は実は弾丸の射出には失敗していて、たまたまサンプラー・ホーンの中に入り込んだほこりを持ち帰ることができたんだよね・・・。
今回は、サンプラー・ホーンの口のところに「返し」をつけて、一度吸い上げた砂礫がホーン内にとどまるような工夫がなされていて、より確実にサンプルを採れるようになっているんだ。
さらに、サンプル格納庫の密閉度も上げて、小惑星表面にある希ガスなどの揮発性ガスも持ち帰るような構造になっているんだって。

そして、「はやぶさ2」の大きな特徴として、大きな銅の塊を高速で小惑星に衝突させ、人工的にクレーターを作った上で、そのクレーターからもサンプルを採取するというのがあるんだ。
タッチダウン時に弾丸を射出して舞い上がった砂礫を吸う、という方式だと小惑星表面のサンプルしか採れないわけだけど、クレーターを作ることで小惑星の内部からもサンプルが採れるようになるのだ。
そんなに深いところからはとれないけど、小惑星の表面では「風化」が起こっていると考えられているので、その「風化」が起こる前の小惑星の組成に関する情報が手に入る可能性があるんだ。
これは小惑星の探査という観点では大きな進歩だよね。

今回探査する小惑星の1999JU3はC型小惑星で、炭素系の物質を主成分としていると考えられているので、宇宙における生命の起源についての手がかりが手に入る可能性もあるんだ(隕石に付着していた有機物から生命が・・・、という宇宙生命起源説もあるんだよね。)。
イトカワはS型小惑星で岩石を主成分とする小惑星だったので、そもそも太陽系の成り立ちがどうだったか、という手がかりが得られたわけだけど、今回はもっとスリリングなことがわかるかもしれないんだ。
とにもかくにも、まずは打上げが成功して、無事に旅立ってもらわないと。

2014/11/22

冬の蝸牛

テレビを見ていて知ったんだけど、カタツムリって冬眠するんだね。
梅雨の高温多湿な時期にしか見かけないイメージだけど、かといって、1年のライフサイクルで生きているとも思えないので、なんだか納得。
そういえば、似たような生物のタニシも、冬の間は側溝や田んぼの縁にへばりついているのは見かけたことがあるから、同じようなものなのかもしれないね。
カタツムリの場合は、植物の陰とか、枯れ葉の下とか、多少湿気のあるところにかたまってじっとして過ごすんだそうだよ。
飼育する場合は土を引いてあげて、そこに隠れられるようなもの(例えば枯れ葉など)を置いておくと、その陰で冬眠するみたい。

秋のうちに食べられるだけ「食いだめ」して、体の代謝を極力下げるように寝て過ごすほ乳類の冬眠と違って、変温動物の冬眠は事実上体温が低下することによる活動の停止なのだ。
太陽光などの外的要因で活動に必要な熱を得る仕組みで、常に自分で活動に必要な熱を産生しているわけ出ないので、そうなる前にきちんと準備をしておかないと「座して死を待つ」のみになってしまうんだよね。
逆に、ほ乳類や鳥類のように恒温動物の場合は、体温を維持するために最低限の熱量の産生が必要となるため、基本はものを食べ続けないといけないのだ。
ワニや蛇は数ヶ月に一度食事をすればよいのだけど、ほ乳類はそうはいかないんだよね(>o<)
常に動ける代わりに燃費が悪いのだ。

カタツムリの場合は、外気温が下がってきて活動が鈍くなってくると、冬眠場所に移動しつつ、殻にこもって、その口のところに粘液で膜をはるようなのだ。
この粘液は、固まるとセロファンや障子紙のような半透明の質感になって、呼吸に必要な空気の出入りができるように細かな穴が空いているんだって。
一方で、乾燥を防ぐ必要もあるのだ。
こういうとき生物の作る膜とかって、自然淘汰の末にバランスのとれたものができているんだよねぇ。

カタツムリの殻って茶色くて、緑の葉っぱの上では目立つんだけど、冬眠中に土の上や、木の陰、枯れ葉の下にいるとこれがよい保護色になるのだ。
殻のいろってなかなか変化させづらいから、活動が鈍くなって一番危ないときに備えた色になっているんだね。
こういうところも感心するばかりだよ。
冬にカタツムリを見かけない理由は、目には入っているけど認識できていないっていう要素も大きいのかも。

そうなると、殻がないナメクジはどうなんだ?って気になるよね。
ナメクジの場合は、基本は冬眠という形で一カ所にじっとしていることはないみたい。
確かに、殻にこもることができないから、じっとしていると乾燥して死んでしまうのだ・・・。
で、どうしているかというと、あたたかい土の中にもぐっているんだって。
ただし、活動自体は低下しているので、ナメクジによる農業・園芸の被害は減少するのだ。
春先にあるとさっそく花芽をかじったりするらしいけど。

カタツムリ、ナメクジともに湿気が必要なので乾燥が苦手なんだけど、カタツムリの場合は、生存上もうひとつ重要な要素があるのだ。
それは、殻を作るためのカルシウムの摂取。
冬眠するにも殻は重要なので、カルシウム量が十分でないと生きていけないんだって。
人工飼育する場合は、卵の殻やコンクリート片など、カルシウム源を一緒に入れてあげないといけないのだ。
街中ではコンクリートからカルシウムを摂取するんだろうけど、もともとの野生のカタツムリの場合は石灰質の岩とかから摂取していたのかな?

積極的に見つけようとは思わないけど、枯れ葉の下とかを注意深く見てみると、冬眠中のカタツムリが見つかるかも。
でも、同じような場所にナメクジもいる可能性があるから、嫌いな人は注意しないとね(笑)
殻のあるなしくらいしか違いがないはずなんだけど、カタツムリはよくてもナメクジはダメっていうのはよくわることだから。
持ち手である殻がないというのは手に取る上では重要だけどね。

2014/11/15

三日、本か

前から不思議に思っていたんだけど、なぜとび職の人たちは太もも部分がだぶだぶになっている「ニッカポッカ」をはいているんだろう、というのが気になって調べてみたんだよね。
正直たいしてよくわからないんだけど(笑)、なんとなく見えてきたものはあるのだ。
少なくとも表面上は実用性は説明できそう。

今ではとび職の人たちなどのガテン系職人さんの作業服としておなじみになっているニッカポッカだけど、もともとはニッカボッカーズという、すそがくくられた膝下丈の半ズボンのことなのだ。
欧米では、ゴルフや乗馬、野球などのスポーツをする際に着用されるんだよね。
すそがじゃまにならないというのが一番のポイント。
多くの場合は長めの靴下(ストッキング)と合わせるんだよね。

すそがじゃまになる、という点では、帝国陸軍兵士がすねにゲートルを巻いていたのも同じ理由。
海外の将校の軍服のようにブーツの中にすそが入れられればこの問題はないんだけどね。
欧米ではすでにストッキングもあったので、巻くのにがかかるし、巻き方にこつがいるゲートルのようなものは使っていなかったのだ。
戦争時はこの差も大きくて、いったん休憩してゲートルを解いてしまうと、また巻直しに時間がかかるので、欧米の兵士に比べて初動が遅れたようなんだよね・・・。
終戦近くになると一般人が徴用されていたからゲートルを巻くなんてことには当然慣れていなくて、この影響はより大きくなっていたんじゃないかな?

日本の職人さんのはいているニッカポッカは、多くの場合地下足袋と合わせているよね。
足首まわりはすっきり、太もも部分はだぼだぼ、という感じなのだ。
江戸時代だと、職人の作業着のボトムスは股引が一般的だったようなので、足首まわりがすっきりしているのは共通。
袴じゃすそが広すぎるからね(笑)
かといって着流しじゃ動きづらいから、股引になるのだ。
ここからの相違点はだぼだぼ部分。
そこに何か意味があるかどうかということだよね。

一般に言われているのは、まずは足が上げやすくなるという効果。
ジーンズなんかは特にそうだけど、タイトに密着していると生地が引っかかって足の可動域は影響を受けるよね。
これは飛びの職人さんからすると大きなメリットかも。
でも、木綿の股引のようなものであれば、よほど汗をかいてぴたっと肌に張り付かない限りは可動域に影響が出るほどじゃないと思うけど。

で、次に出てくるのは目視しなくてもだぼだぼしている布の部分がまわりに触れることで幅感覚がつかめるという点。
高所で作業しているときにいちいち下も前も見ながら行動できないから、太もものだぶついているがまわりに引っかかるかどうかで、自分のまわりの環境がどうなっているかつかめるということなのだ。
また、釘などが飛び出ていても、だぶついている部分が引っかかればすぐにはけがをしないというのもあるみたい。
タイトなものだと、布がまわりに触れた時点ですでに幅的な余裕度はなくなっているし、釘などが飛び出ている場合はもうけがをしているよね・・・。

最後のは本当かな?、と思うけど、風の抵抗を受けやすくなるので、風の動きをより敏感に察知できるというのも。
強風が吹いたらそれだけ力を受けやすいから高所から落ちるリスクも高まるような気がしてならないんだけど。
もともと落ちるような風が強い日は高所には昇らないから、ちょっと風が強くなったかどうかを察知するのに役立つ、ということなのかな。
地平面と高所だと風の吹き方も違うから、高所で作業している人のニッカポッカが風でたわんでいたら、高所は風が強そうだ、というのはわかるけどね。

そんなこんなで実用性はありそうなんだけど、それだけじゃないような気がするんだよね。
それは、やんちゃな生徒が着用するボンタンとの類似性なのだ。
イメージ的にとび職になるような人はやんちゃだった確率が高いように思うんだけど、改良学生ズボンのボンタンとニッカポッカって似ているよね?
そういうのが多少なりとも影響しているんじゃないかなぁ、と思ってしまうのだ。
検証はできないんだけど。
ちなみに、ボンタンはなんでああいう形状なんだろうね?
ライオンのたてがみとかと同じで、自分を大きく見せようとしているのかな。

2014/11/08

次は22世紀

11月5日は世にも珍しい「二度目の十三夜」だったのだ!
ちまたでもミラクルムーンとか呼ばれて話題になっていたんだよね。
東京は残念ながらくもりがちの空だったのでくっきりとは見えなかったけど・・・。
それでも、おぼろげには見えたかな。

もともと十三夜というのは日本独自のものだそうで、旧暦8月の満月である十五夜(中秋の名月)にタイして、旧暦9月に設定されているものなのだ。
十五夜の月見は中国文化圏で広く行われているんだけど、なぜか日本では十五夜と十三夜の両方の月見をする風習なんだよね。
十三夜の方は「後の月」と呼ばれ、ちょうど秋の収穫の時期にも重なって食べ頃の大豆や栗を供えたので、「豆名月」や「栗名月」なんて呼び名も。
ちなみに、中秋の名月の方は里芋を供えることがあるので、「芋名月」とも呼ばれるのだ。
なんか芋とか栗とかほくほくしてそう(笑)
あとかぼちゃがそろえば、「いもたこなんきん」で、女性の好物がフルセットになるのに!

今回二度目の十三夜が来たのは、閏月が9月に入ったため。
新暦11月5日が旧暦閏9月13日になったからなのだ。
日本の旧暦は太陰太陽暦と言われる暦法で、原則として月の満ち欠けのサイクル(朔望月=29.53日)をもとに1ヶ月を設定し、それを12回繰り返して1年とするもの。
周期が29.53日なので、30日ある大の月と29日しかない小の月をそろぞれ6回ずつ入れるんだよね。
でも、これだと1年が355日になって10日ほど足らないので、暦と季節がずれていくのだ・・・。
そこで、3年に1度くらいの割合で「閏月」を挿入して、1年を13ヶ月にして調整するのだ。
実際には、太陽暦の1年(365.2422日)-太陰太陽暦の1年(平均朔望月29.53日×12=354.36日)=10.8822日で11日弱ずれていくので、3年に1度だと入れ過ぎで、19年に7回くらいがちょうどいいんだそうだよ(10.8822×19÷7=29.5374)。

すでに太陽暦になれた現代人にしてみると、大の月と小の月って年ごとに代わることはないけど、太陰太陽暦の世界では、どの月が大の月になるのか、小の月になるのかは毎年代わるし、どこに閏月を入れるのかも毎回代わるのだ(新月の日が1日=朔日になるように大の月と小の月を調整する必要があるんだよね。)。
これは季節の巡行に合わせて暦を調整する必要があるため、季節の巡行は二十四節気などの太陽の公転を基準とした指標(太陽の黄道上の一を二十四等分したもの)を参考に、立春立夏立秋立冬などが違和感のある月に入らないようにするんだ。
なので、暦(カレンダー)は誰もが作れるものじゃなくて、政府が公式に作るものとなるのだ。
中国では各王朝が定めていたし、日本でも江戸時代は幕府が自ら天体観測などを行いつつ調整して暦を定めていたのだ(以前は中国の暦をそのまま輸入しているだけだったことも。)。
ちなみに、太陽年との差分を補正する太陰太陽暦だとこのように複雑になってしまうんだけど、季節と月の関係を一切無視して月の満ち欠けだけで暦を定めるイスラム暦のような純粋な太陰暦の場合は大の月と小の月が交互に来るだけになるんだよね。
ただし、イスラム暦9月に設定される「ラマダーン」はどんどん季節がずれていくので、夏だったり冬だったりと一定しないのだけど。

今でも太陽や月の観測と、それに基づく二十四節気の設定や月の朔望の情報提供は国立天文台でやっているんだよね。

特に立春や立秋は祝日でもあるので、その日付の設定は重要なのだ。
やっぱり国家管理が必要なんだね。
勝手に自分は今日が立春だと思ってた、と言われて休まれても困るから(笑)
それはいいとしても、暦の設定というのは租税の徴収にも関係するので、やっぱり政府が公式に定める必要があるんだよね。
租税対象期間の1年の長さがまちまちだと本当に困るから。

ちなみに、前に2度目の十三夜があったのは1843年で、これは天保14年。
今度2度目の十三夜があるのは95年後の2109年!
もうドラえもんがいる時代だね。
ということは、実は今回見逃した場合、次はまず見られないということだったのだ。
あらかじめわかっていたらもっとしげしげとながめたのに。

2014/11/01

裏の畑でポチが鳴く

エボラ出血熱の問題でにわかに問題になったけど、我が国では、エボラ出血熱に罹患しているかどうかまでの検査はできるけど、いったんエボラ出血熱の患者だと判明した場合、その患者さんの検体を使ったエボラウイルスの研究はできないんだよね・・・。
これは、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症予防法)の枠組みによる規制なんだ。
この法律では、第一種病原体とされるエボラ出血ウイルスや天然痘ウイルス、ラッサ熱ウイルスなどはそもそも所持自体が禁止されていて、政令で定める病原体を厚生労働大臣が指定する施設で試験研究に使う場合は例外的に所持することができる、とされているんだ。
エボラ出血熱ウイルスについては、研究できるものとして政令で指定されているんだけど、研究できる施設がない、というのが問題なのだ。

扱える施設が全くないのか、というとまた違って、設備的には扱える施設はあるんだけど、その設備が使えない状況にあるんだよね。
具体的には、厚生労働省の試験研究機関で或国立感染症研究所の東村山庁舎の中に、バイオ・セーフティ・レベル4(BSL4)相当の研究施設があって、国際的な基準で言えば、そこでは第一種病原体を扱うことは可能なのだ。
でも、この施設については住民訴訟があって、住民と和解ができない限りは最高レベルであるBSL4としては稼働してはならない、という判決が出ているのだ。
なので、実質上使えないわけ・・・。

国益という官邸で言えば、国内でエボラ出血熱患者が発生しても、判定が陽性になってからはそれ以上国内で研究できないので、米国等に検体を送って研究してもらうしかないんだよね(>o<)
実際に、ラッサ熱が発生したときはそうしたようなのだ。
なので、国会での指摘でも、政府の方針でも、早期にBSL4施設として稼働できるようにすべき、というのが出ているんだけど、エボラ出血熱の患者がそこに運び込まれて、そのウイルスを増殖させたりする、と言われると、地元住民はたまったものじゃないよね・・・。
そうそう理解が得られるものではないのだ。
こくにとしてはやるべきだけど、自分の住んでいる地域ではちょっと、ということ。

この問題はより一般的には「NIMBY」と呼ばれていて、これは、「Not in My Back Yard」の略なんだ。
うちの裏庭でやるのはやめてくれ、ということ。
原子力発電関連施設やゴミ処理施設、刑務所、下水処理施設、食肉処理施設(いわゆる屠畜場)なんかの「迷惑施設」と呼ばれる施設に共通の問題なのだ。
今も福島に核廃棄物の最終処分場を作るかどうかについてもめているよね。
沖縄における米軍基地問題も同様なのだ。
国としてはそういう施設が必要であるのは理解するのだけど、いざ自分が住んでいる地域にそういうのがあるのはいやだ、という人間のエゴの表れみたいな問題なんだよね。

原子力発電関連施設だと今回の事故のようなことがあるとそもそも人が住めなくなりリスクがあるし、米軍基地の場合も、米軍兵士による事件・事故なんかは件数的にもけっこうあるから、実被害のリスクが伴うものなんだよね。
米軍海兵隊の兵士が事件や事故を起こしたとしても、基地内に戻られたら日本の司法ではどうしようもなくて、米軍の軍紀・軍法裁判に任せるしかなくなってしまうのだ。
ゴミ処理や下水処理みたいなのは、イメージ的に忌避感があるという部分が多いんだろうけどね。

そういう問題があるので、原子力発電関連施設の周辺地域には立地対策として立派な道路が整備されたり、豪勢な体育館・公民館ができたり、といろいろあるのだ。
地元自治体にも核燃料税などの地方税収入があったりもするし。
沖縄の米軍基地の場合もそうだけど、地元で大きな雇用を作り出しているというのもあるんだよね。
なので、反対する住民と、是認というか妥協というか、賛成する住民がいるわけで、そのかねあいで折り合いをつけるような格好になるのだ。
地方選(例えば自治体の首長など)では毎回大きな争点になるけどね。

一方で、この感染症対策の場合、そういう立地対策的な「にんじん」もぶら下がっているわけではないし、基本は大きな声で反対するか、とりあえず黙っているかしかないのだ。
そうなると、自治体を巻き込んだとしても、なかなか前には進まないわけだよねぇ。
非常にデリケートで難しい問題なのだ。
だからといって何かできるわけじゃないんだけど、何もしないでいいわけでもないので、打開策は考えないと行けないんだよね。
本土から離れた無人の離島に施設を作るとかなんとか、考えられるような気もするけど、そうなると疑いのある患者を緊急搬送するのが大変だし、研究者や医療従事者をそこにとどめておくのも難しいから、あんまり案にならないんだよねぇ。

2014/10/25

測るんだジョー

職場に引っ越しを考えている人が複数いて、どの地域がどうとか、部屋の間取りなんかが雑談の話題に上るのだ。
で、そんな話をしている中で改めて気になったのが、間取りにおける「ジョウ」の表現。
通常は畳の数で意識しているので「畳」を使うと思っていたのだけど、不動産関係の資料では「帖」という時を使っているんだよね。
なんでなんでしたっけ?

正解を言うと、畳の大きさに地域差があるので、畳の数では部屋の広さを正確に表現できないからなのだ。
なので、1帖=1.62平米と業界ルールで定めていて、不動産広告等では地域差なく正確に面積を表示できるようになっているんだ(間取り図によっては「J」で表現されているよ。)。
だったらそもそも平米で表現すればいいようなものだけど(笑)
とは言え、自分でも「何畳(又は何帖)」と言われた方が広さをイメージしやすいから、できるだけ4畳半やら、6畳間・8畳間のイメージを残しつつ、ということにしたかったんだろうね。

畳の大きさに地域差があるというのは割と有名な話で、「京間」は広くて「江戸間」はせまいんだよね。
具体的には、「京間」と呼ばれる伝統的なサイズは1間=6尺3寸=1.91mのもので、畳は半間×1間なので、1.82平米になるのだ。
「江戸間」というのは1間=6尺とするものなので、同じように計算すると畳は1.55平米。
1.2倍くらい違うのだ!
戦後には、さらに狭い「団地間」なんてのもあって、1.45平米くらいの畳もあるんだ。
やっぱり実際の部屋の床面積は意識しづらいから、並んでいる畳の数でごまかせるんだろうね。

なんでこんなことになったかというと、江戸が超過密都市だったことがあるんだよね。
当時すでに世界でも珍しい100万人都市で、いわゆる「朱引内」や「御府内」と呼ばれる江戸市中(「大江戸」の範囲)は、北は千住・板橋、西は代々木・角筈(つのはず、都庁周辺)、東は平井・亀戸、南は品川。
だいたい「四里四方」で、今の山手線の内側+本所・向島・深川の下町地域の70平方kmくらい。
さらに、実際には武家地や寺社地が多くて庶民が居住できるスペースはもっと限られていたので、今以上に家がせまかったんだよね!
そういう文化の中で、太閤検地以来1間=6尺3寸だったものが、6尺ちょうどになって狭くなったのだ。

もう一つの理由として、長さの単位である1間は検地により年貢米を算定する基準としての意味合いが強かったんだけど、江戸時代になると農業技術も向上して生産性が上がり、単位面積当たりの米の収穫量が増えたので、同じ石高で言えばより狭い範囲の土地があればよくなったんだよね。
なので、米の収穫量を中心にして、その石高に必要な土地面積を求める基準としての長さの単位を考えると、「1間」が短くなっても仕方ないのだ。
都市の住宅事情だけでなくて、こういうことも影響しているんじゃないかと言われているよ。
でも、江戸時代に公式に定められている石高って実際の収穫量とはマッチしていなくて、実質石高とはずれているんだよね。
なので、生産性の向上だけで説明というのも苦しい気はするのだ。

それと、最近では、土地にあわせて畳もオーダーメイドになることがあって、正確に1:2の縦横比率になっていないものもあるんだって。
土地に余裕がないけど和室がほしい、でも、そもままじゃきれいに畳が並べられない、となると、そういう変則的な形の畳を使うみたい。
見た目的には畳が並んでいるので、大きくサイズが変わらない限りはイメージとして「○畳」という風に映るのかな?
少し前はフローリングが主流で和室は減っていく傾向にあったけど、赤ちゃんの世話とか高齢者と一緒に住むことを考えると和室はあると便利なので、復権してきているんだよね。
単に面積単位として意識されていた「畳」がまた畳敷きのイメージに戻りつつあるのだ。
でも、そうなると、実際の畳の数と「帖数」はずれていたりして・・・。

2014/10/18

Do-No

2週連続で週末に台風が到来して、テレビのニュースでは例のごとく暴風波浪警報が出ているような地域で中継をしていたのだ。
今回は雨の量も多かったので、川などが氾濫して床上・床下浸水になった地域も多いみたいだね。
で、ここで改めて注目したのが土のう。
水が浸入してこないように積み上げて「防波堤」にするわけだけど、袋に土が詰まっているだけなのになんで水を通さないのかな?、って単純に疑問に思ったんだ。

実のところ、なんのことはなくて、土塀が水を通さないのと同じ。
袋の中に入れることで土が散乱せず、形状が保持されるので、隙間がない以上はそうそう水を通さないのだ。
パイプに土が詰まれば水が通らなくなるのと同じで、時間をかけてじわじわと水はにじみ出してくるけど、浸水を止めるという目的に対して問題になるほどしみ出すわけじゃないんだよね(笑)
問題は、隙間なく並べることで、そのための工夫がいるのだ。

ひとつは、袋はぱんぱんに土を詰め込まずに余裕を持たせること。
土は水を吸えばある程度膨潤するし、何より、袋に入った状態で自由に形状が変えられないと隙間ができるのだ。
あらかじめ袋の中の土もよく乾燥させてから踏んだりして柔らかくし、簡単に形状が変えられるようにしておくことも重要なのだ。
二つ目は、当然と言えば当然だけど、袋はしっかりひもなどで閉めておくこと。
中の土がもれるようであれば用をなさないのだ。
通常は袋の口のところにあるひもをきつく縛り、さらに、余ったひもを袋の口のところでぐるぐると巻くんだよね。
こうすると、袋が破れない範囲で自由に形状を変えられて、自重も手伝って隙間なく土のうが積み上がるのだ。

ただ土をもっただけではすぐに崩れてしまうので、しっかりと踏んだりたたいたりして固める必要があるけど、そうして作っていたのがむかしの堤。
簡易的に、かつ、短時間で同様の機能を持たせるために土のうを積み上げるのだ。
土を固める代わりに袋で形状を維持しているんだよね。
ただし、袋の中の土がぬれている限りにおいてはしっかりと隙間なく積み上がるけど、中身が乾いてきてある程度軽くなってくると、そこまでぎっちりとは密に積み上がらないのだ。
なので、緊急避難的には使えるけど、恒常的に堤にするわけにはいかないんだよね。

伝統的には麻袋に土をつめるんだけど、最近ではポリエチレン製の袋が主流なんだって。
その方が丈夫だし、長持ちするからね。
さらに、中身も土でなくて、高吸水性ポリマーのようなものがつまっていることも!
そうすると、水を吸う前は非常に軽いので、扱いやすくなるのだ。
積み上げてから水を吸わせると中身が膨潤していって、密に積み上がるという仕組み。
使用後に乾燥させれば再使用もできるそうで、軍隊のように袋だけ持ち歩いてその場その場で土を詰めて使う,というものでない限り、非常に便利なのだ。

さらに、最近では、生分解性のおがくずやら植物性繊維をつめたものもあって、もともと水よりも比重が重いので乾いた状態でも水に沈み、それが水を吸うと土のうの役割を果たすというのもあるんだって。
水が引いた後もそのまま放っておいても土に戻るし、中には植物の種が入れてあって、そのまま芝生の育成にも使えるものもあるとか。
こういうのは植生土のうと言われていて、緑化のための土木資材として使われているらしいよ。
水路に沿って置いて水の氾濫を防ぐとともに、水路際の植栽を行ったり、路肩に置いて路面への水の進入を防ぐとともに植栽を行ったりできるのだ。

今回、災害情報を調べていて知ったんだけど、もともと海抜高度が低くて、浸水が頻繁に起こるような地域だと、あらかじめ土のうを集めて置いてある「土のうステーション」があって、そこの土のうを持ってきて使うことができるんだって!
災害情報を見るたび、よくすぐに土のうなんて積めるものだ、と思っていたんだけど、そういう便利な公共サービスもあったんだね。
各家庭に常備していたわけではないのだ(笑)