2016/06/25

本当は期限あり

鳩山邦夫元法相がお亡くなりになったのだ。
この人は、サイバンインコの「中の人」になってみたり、友達の友達がアルカイダだったりで有名な政治家だったけど、ボク個人としてもとても印象に残る政治家だったのだ。
御冥福をお祈りします。
で、この鳩山元法相が有名になった件としては「死に神」問題があるんだよね。
これは朝日新聞が報じた記事に由来するもので、鳩山元法相が「死刑の執行は粛々と行うべき」として歴代法相の中でも群を抜いて多くの死刑を執行していることに対し揶揄したもの。
このときの元法相の発言で「ベルコトンベアー方式」なんてことも言われたのだ。

でも、実は死刑という制度は刑が確定したら期限内に執行すべきことが法律で定められているんだよね。
刑事訴訟法第475条第1項では、「死刑の執行は、法務大臣の命令による」と定めているので、死刑という刑が裁判で確定した後、改めて法務省内で刑の執行にかかる手続きがあって、しかる後に法務大臣から執行命令が発せられて、刑の執行に至る、という図式なのだ。
その次の第2項では、「前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」とされているので、本当は刑確定から半年以内に執行をすることが求められているんだ。
とは言え、その後ろに但し書きとして「但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」というのもあって、例外は認めているわけ。
実際には、死刑の執行には数年はかかるみたいなんだよね・・・。
中には死刑の執行せずに大臣の任期を終えた人もいたのだ(これはその大臣の信条によるところもあるのだけど。)。

鳩山元法相は、この法律に定められたルールに則り、手続きをきちんと進めるべきだ、と主張しただけなので、当時から「死に神」呼ばわりした朝日新聞には抗議がなされたみたい。
でも、マスコミの論調の中では、「そもそも死刑という制度が妥当なのか」という議論を意図的かそうでないのか見事にまぜこぜにされてしまって、死刑を執行すること=悪いことみたいに捉えられることもあるんだよね。
少なくとも、現行法制化では死刑という刑があって、裁判においてもそれが確定しているものについては、元法相が主張したように粛々と執行していくのが法治国家としてあるべき姿なんだよね。
その上で、死刑という制度を存続させることがいいのか、仮釈放なしの終身刑のようなものに変えた方がよいのか、というのは、社会で議論し、国会で審議した上で、必要であれば法制度を変えていくという話なんだよね。
今のルールが気にくわないから従わなくていい、というのは少しおかしな話に感じるよ。

話はそれたけど、裁判で死刑という判決が確定すると、法務省内で手続きが発生するのだ。
まず、判決の謄本と公判記録が検察庁に送られ、検察ではこれらの書類に基づいて死刑確定者に関する上申書を作成して法務省に提出するのだ。
この上申書は法務省の刑事局に回され、やはり検察から送られてくる裁判の確定記録とともに中身を確認する作業に入るのだ。
通常死刑判決が出るような裁判は長期にわたって行われるため、ここで確認する記録は膨大な量になっているそうだよ。
また、再審や恩赦、非常上告など、刑の執行を停止する必要のあるものに該当するかどうかも慎重に確認することになっていて、これにも時間がかかるみたい(例えば、えん罪の疑いのある場合は速やかに執行はできないし、恩赦が近々見込まれる場合にも拙速に執行はされないのだ。)。
で、中身の確認が終わると、死刑執行にかかる起案をし、法務大臣の了解を求めるのだ。
法務大臣がこれを裁可すると、死刑執行命令書が作成され、法務大臣が署名すると刑の執行が確定するんだ。

死刑の執行に関しては、刑法第11条第1項で「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する」と決まっていて、日本では絞首刑が採用されているのだ。
中国だと銃殺刑もあるし、米国では電気椅子なんかも使われるみたいだけどね。
さらに、次の第2項では、「死刑の言渡しを受けた者は、その執行に至るまで刑事施設に拘置する」となっていて、刑の執行までの間は、刑事施設に「拘置」されるのだ。
これは逃げられないように身柄を拘束することで、「懲役」や「禁固」とは別の概念なんだよ。
確かに、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の定義(第2条第4号)では、受刑者は、「懲役受刑者、禁錮受刑者又は拘留受刑者をいう」となっていて、死刑囚は含まれていないのだ。
なので、死刑囚が収容される刑事施設というのはいわゆる「刑務所」ではなく、「拘置所」なのだ。
つまり、東京で言えば、府中刑務所ではなく、小菅の東京拘置所にいるというわけ。
そういう意味では、拘置所には、裁判がまだ終わらず刑が確定していない「未決囚」と呼ばれる人たちと、死刑が確定している死刑囚がいることになるよ。

刑の執行に当たっては、検察官、検察事務官及び拘置所の所長(又はその代理)が立ち会うべきことが刑事訴訟法第477条第1項で定められているんだけど、一方で、第2項では、検察官又は拘置所長の許可を得たもの以外は刑場への立入りを禁止しているのだ。
通常は刑事施設の職員(刑務官等)のほか、医官や教誨師が立ち会うみたい。
このあたりはあまり詳細が明らかにされないので、詳しいことはわからないんだけど。
医官により死亡が確認されると、刑事訴訟法第478条に従って検察事務官が執行始末書を作成し、立会い検事と拘置所長が署名押印して刑の執行が終了することになるよ。

ちなみに、よく刑の執行後に仮に生きていた場合はそこで刑の執行が終わったので釈放される、なんてことが言われるんだけど、この根拠とされるのが、刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律(旧監獄法)の規程。
まず、第71条の第1項と第2項で、死刑の執行は刑事施設内の刑場で行うことと、祝祭日と12月31日~1月2日にかけては死刑の執行を行わないこととしているのだ。
続く第72条で、「死刑ヲ執行スルトキハ絞首ノ後死相ヲ検シ仍ホ五分時ヲ経ルニ非サレハ絞縄ヲ解クコトヲ得ス」とされていて、死相を確認してから5分経たないと絞首に使った縄を外してはいけない、という規程があるのだ。
ここをもって、5分経って縄を外したら蘇生した、という例をどう考えるか、ということなんだけど、この場合、過去の例では刑の執行はいったん完了したと見なされ、再度執行はされない、ということになったみたい。
ただし、現在の絞首刑の場合、まず蘇生しないような方法だし、医官が死亡を確認しないと刑の執行が終わらないようになっているので、おそらくこの問題はもう起こらないと考えられるよ。

なんだか暗い話だけど、これが日本の死刑制度なんだよね。
これが現代社会において妥当なものかどうかは議論があるところだけど、少なくとも法律が改正されるまでは、このルールに則るのが法治国家だとは思うんだよね。
その上で、国連での議論なんかも踏まえつつ、制度について国を挙げて検討すればいいのだと思うよ。
そういう意味では、鳩山元法相はこの問題を意識の上に上げる一石を投じたと思うのだ。
改めて、御冥福をお祈りします。

2016/06/18

焼いて融かして色つけて

日曜の昼過ぎについつい見てしまうのが、「なんでも鑑定団」の再放送。
美術品・工芸品についてわかりやすくコンパクトに説明してくれるので、ちょっと賢くなった気になるのもいいんだよね(笑)
なんとなく見始めて、けっきょく最後まで見てしまうパターンが多いのだ。
本物か偽物か予想するのもおもしろいしね。

この番組を見ていると気になってきたのが陶磁器の色。
よく「釉のかかりがすばらしい」とか「発色がいい」なんて聞くけど、それってなんで変わるんだろうということ。
今の御時世、科学的に分析すれば「いい出来のもの」をクローンのように再現できるんじゃないか、とこう考えるのだ。
ところが、これはそんなに甘くないらしいんだよね・・・。

釉薬(「うわぐすり」又は「ゆうやく」)は、陶磁器の表面を覆っている薄いガラス室の皮膜。
土をこねてそのまま焼成した素焼きだと、どうしても細かい穴がたくさんあいている状態なので、水分を若干浸透させてしまうんだよね。
それがいいところでもあるんだけど、吸水性があると液体を保存する容器には使いづらいのだ。
そこで、その上にガラス質のコーティングをして、耐水性を高めようというわけ。

「うわぐすり」というだけあって、素焼きしたものの上からかけて、その後もう一回焼成させるのだ。
「かける」とは言うけど、実際の釉薬は土や灰を水で懸濁させたもので、そこに素焼きしたものをつけるという表現の方が合っていると思うよ。
刷毛で塗ったりしてもいいのだろうけど、均質な厚さにするためには、「塗る」というのでは難しいはずなのだ。
さっと釉薬の中にくぐらせて、天日で乾燥させてから焼成する、というのが普通だと思うよ。

ものによっては、一度乾かしてから一部だけ別の釉薬につけて色調を変えたり、絵の具のように使って絵を描いて模様にするという技術もあるみたい。
絵を描く場合は、背景色の釉薬につけ、その上に絵を描き、さらに透明になる釉薬につける、という幹事で段階的に作業するのだ。
このとき重要なのは、釉薬の段階では焼き上がりとは全く違う色なので、「絵付け」をするにしても、慣れていないと焼き上がりがどうなるかわからないということ。
釉薬っていうのはたいて白~灰~黒みたいな色だからね。

釉薬の主成分は4つ。
骨材というのがガラス質を作る主原料で、これは二酸化ケイ素。
糊材というのはできたガラス質の安定性を保つもので、これは酸化アルミニウム(アルミナ)。
どちらも長石が入った土の成分なのだ。
ここに媒熔材と呼ばれるものを入れて、釉薬の融ける温度を調節するんだって。
その成分は、酸化ナトリウム、酸化カリウム、酸化カルシウム、酸化マグネシウムなど。これらは土の中にも含まれるし、灰の中にも多く入っているのだ。
釉薬の温度を調節するのは、焼成温度によって発色が変わってくるからで、例えば、灰を入れる量でできあがりの色味が変わってくるのだ!

最後が発色剤。
これは主に金属で、色のもととなるのは鉄、銅、コバルトなど。
今は化学的に足したりもするようだけど、伝統的には鉱石を砕いたものや特殊な土・砂、特定の植物の灰なんかを使って、発色につながる金属の量を調整したみたい。
このあたりは、試行錯誤による伝承と、職人の感みたいな世界だよね。
あれとあれをこうまぜるとこういう色になる、みたいな。
織部の緑や楽茶碗の黒とかだよ。

ところが、上にも少し書いたけど、焼成の仕方で色が変わってくるのだ。
発色剤となる金属がどういう状態で焼き上がるかで色が変わるわけだけど、例えば、銅の場合、十分に酸素が供給されて完全燃焼で高温で焼成された場合、青~緑になるのだ。
ところが、酸素が少なく、不完全燃焼で焼成された場合(多くの場合燃焼温度は少し低め)、赤くなるんだよね。
これは銅の酸化状態の違いで、完全燃焼で酸化焼成された場合、銅は酸化銅(II)CuOになるので、青っぽい色を呈するのだけど、不完全燃焼で還元焼成された場合、酸化数がより少ない酸化銅(I)CuOになるので、真っ赤な色を呈するのだ。
鉄も同じで、完全燃焼だと酸化鉄(II)FeOで黒なんだけど(備前焼の黒)、不完全燃焼だと酸化鉄(III)Feで赤くなるのだ(赤さびの色)。
もっと酸化が抑えられると、酸化されていない金属鉄になるので、青っぽい色になるのだ。
実際にはこれらが混ざるので、複雑な色合いになるよ。

つまり、炉内の酸素供給量による燃焼状態とそのときの炉の温度で大きく発色が変わるのだ!
これはもう相当な複雑系になるので、完全に昔の優れた焼き物を再現することができないんだよね・・・。
科学的に原理はわかるんだけど、そもそもパラメーターが多すぎて条件設定がしきれないのだ(>o<)
炉内での火のまわり方なんかはカオス理論になるだろうし、同じようなやり方でも偶然性に大きく左右されてしまうんだよね。
というわけで、焼き上がってみるまでわからない、のだ。
それが陶磁器のおもしろさなんだろうけどね。

2016/06/11

煙にまく?

日本の研究グループに命名権が付与されていた113番元素について、国際純正・応用化学連合(IUPAC)は、日本から提案していたニホニウム(Nh)という名称・記号の案で意見公募を開始したのだ。
5ヶ月間も意見を求めるらしいけど、よほどのコメントがない限りはそのまま決まるそうで。
でも、この名前の場合はちょっと危ないような・・・。
3月中旬に提案が行われてからやっとオープンになったわけだけど、わかってしまうと、まあそうだよね、というネーミングではあるよね(笑)

で、この113番元素の名前についてはいろんな予想がされていたんだよね。
新聞報道等で人気があったのは「ジャパニウム」。
日本で初めて、世界で二番目にサイクロトロンを作った仁科芳雄博士にちなんだ「ニシナニウム」なんてのもあったのだ。
でもでも、その中にまったくわからない名前が。
これは科学誌Natureの関連のブログの中の予想にあった名前なんだけど、「Enenraium」というもの。
中身を読んでみると、妖怪の「煙煙羅」にちなんでいるんだって。
って、なんで!?
正直、エントリーの理由は不明なんだけど、機械的につけられる仮称が「ウンウントリウム」だったので、音が似ているというので選ばれたんじゃないか、と予測している人はいるよ。

この「煙煙羅」という妖怪は、字の表すとおり煙の妖怪で、江戸時代の画師・鳥山石燕さんによる「今昔百鬼拾遺」という作品の中に出てくるのだ。
実は、これ意外に伝承などが残っていないので、鳥山石燕さんの創作妖怪と考えられているよ。
蚊遣り火の煙がくすぶりゆらゆらゆれていて、怪しい形をなすことがある、それが羅(うすもの)が風にたなびくように見えるので、「煙煙羅」と名付けたか、といった旨のキャプションがあるんだ。
雲でもそうだけど、じっと見ていると何かの形に見えてくることはあるよね。
きっとそういう感覚が反映されたものなのだ。

これだけなので、怪しく見える、という意外に特徴がないわけ。
なので、113番元素とはほぼ関係はないはず。
実態はつかめないけど何かある、という点では、10年で3個しか作ることができなかった113番元素につながる部分はあるけど(笑)
でも、この妖怪との並びだったら、怪しく見えるけど、それはそう見えているだけ,と言うことになっちゃうから、113番元素は幻になっちゃうね・・・。
だとすれば、名前としてあまりふさわしくないね。

また、煙っていうのは、燃え残ったものや燃えにくかったものが燃焼時に発生する熱に煽られてエアロゾルとして浮遊しているものなんだよね。
黒や灰色に見えている色は、エアロゾルとして浮遊している「すす」によるものなのだ。
「すす」だけなら汚れがつく程度なんだけど、場合によっては、その中に一酸化炭素や窒素酸化物、硫黄酸化物、金属酸化物なんかの有害なものも入っている場合があるので、注意が必要だよ。
「煙煙羅」のもと(?)の蚊遣り火は、ヨモギの葉や松・杉・榧の青葉を火にくべてけぶらせるもので、今で言う蚊取り線香に近いんだけど、殺虫成分が入っているわけではなく、あくまでも煙で虫を追い払うものなのだ。
植物中の精油成分などが含まれるので、通常の煙に比べて目にしみたりすることはあるけど。
そういう意味では、ごくごくありふれた「すす」の中に、微量に何か性質の違うものが紛れ込んでいて、という状況は、113番元素を作っている時に似ているかもね。

まあ、煙煙羅について調べてみても、やっぱり名称として提案される理由はわからないね(笑)
そういうのがあってもいいかもだけど、さすがに日本発、アジア初の元素名でそれはないよなぁ。
じゃ、もう一個命名権がとれたら候補に入れるということで!

2016/06/04

しばし待たれい

元プロ野球選手の覚醒剤取締法違反の事件について、東京地裁が有罪判決を出したのだ。
量刑は、懲役2年6月、執行猶予4年。
通例、覚醒剤の所持・使用などは、初犯の場合は執行猶予がつくと言われているけど、今回もそうなったんだよね。
相場としてはこんなものかな、というところみたい。
で、改めて気になったのが「執行猶予」という制度。
刑務所に入らずとも、その間おとなしくしていれば刑の執行を免れる、くらいの認識なんだけど、ちょっと調べてみたのだ。

執行猶予は、刑法の第一編「総則」の中の第四章「刑の執行猶予」というところで、第二十五条から第二十七条の七までの12条によって規定されているんだ。
刑の「全部」又は「一部」の執行猶予があって、「一部」のみの執行猶予の場合、他の部分で刑の執行がなされることがあるよ。
刑の全部の執行猶予の要件は第二十五条で定められていて、3年以下の懲役・禁固又は50万円以下の罰金が対象で、1年以上5年以下の期間で執行が猶予されるんだけど、もちろん、条件があるんだよね。
その条件は大きく2つで、①前に禁固以上の刑に処せられたことがないこと、又は、②前に禁固以上の刑に処せられているがその執行が終わった日又は刑の免除があった日から5年間禁固刑以上の刑に処せられたことがないこと。
前に禁固刑以上の刑に処せられたがその刑の全部が執行猶予中の場合は、特に情状酌量すべきものがあれば、1年以下の懲役・禁固について執行猶予が得られる場合があるよ。
ここで言う「禁固以上の刑」というのは、死刑、懲役及び禁固のこと。
刑の種類は第九条で、死刑、懲役、禁固、罰金、拘留、科料と6つ挙げられているんだけど、次の第十条で、刑の軽重はこの第九条に規定する順序による、とされているので、一番重いのが死刑、一番軽いのが科料となるわけ。

①の場合は保護観察はオプションなんだけど、②については保護観察をつけないといけないんだよね。
この保護観察については、遵守すべき事項を守らず、それがやむを得ない事情出ない場合は、裁量的に執行猶予が取り消される場合があるのだ。
執行猶予中に罰金刑に処せられた場合も取り消しの可能性があるよ。
逆に、執行猶予中に執行猶予のない禁固刑以上の刑に処せられたり、執行猶予の言渡し前に犯した犯罪について執行猶予のない禁固刑以上の刑が書せられた場合は、自動的に執行猶予が取り消されるのだ。
執行猶予が取り消されると、懲役・禁固の場合は刑務所に行くことになるのだ・・・。

なお、何事もなく執行猶予期間を無事に過ごすと、第二十七条の規程により、「刑の言渡しが効力を失う」ことになるのだ。
なんだか難しいけど、罪を犯して刑に処されたという事実は残るけど、懲役・禁固刑を受けているという状態ではなくなるのだ。
これで何が起こるかというと、国家資格なんかの多くでは「欠格条項」が定められていて、そこがクリアされるのだ。
例えば、国家公務員法では、「禁固以上の刑に処せられ、その執行が終わるまで又は執行を受けることがなくなるまでの者」は国家公務員になれないばかりか、在職中にこの要件に該当すると自動的に失職するんだよね。
でも、執行猶予期間が終わって、刑の言渡しの効力が失われると、もうこの条項には該当しなくなるので、また国家公務員として復職できるようになるのだ。

公務員だと復職は考えづらいけど、選挙権・被選挙権なんかも、服役中だけでなく、執行猶予中もなくなるんだよね・・・。
また、いわゆる「士業」においては、さらに「冷却期間」がいるのだ。
例えば、公認会計士、行政書士、司法書士だと、「禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わり、又は執行を受けることがなくなつてから三年を経過しない者」となっているので、執行猶予期間が終わって3年たてば、前科がなくなったものとなって、またその資格を得ることができるのだ。
ただし、逆に言うと、これらの仕事をしていた人が犯罪を犯し、執行猶予付とは言え実刑判決を食らうと、もうその資格では仕事ができなくなってしまうんだよね(>o<)

こういう中でもっとも厳しい要件が、弁護士や弁理士などの欠格要件。
これらではシンプルに「禁錮以上の刑に処せられた者」となっているので、実刑判決が出たらアウトという図式なのだ・・・。
でも、一度でも実刑判決を受けると二度となれないか、というと、そういうわけでもないのだ。
刑法第三十四条の二で「刑の消滅」というのが規定されていて、「禁錮以上の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで十年を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う」となっているのだ。
すなわち、禁固以上の刑に処せられても、10年経てばこの欠格要件からは外れるということなんだ。
なので、若いときに万引きで執行猶予付の実刑判決を受けたとしても、努力すれば中年以降に弁護士資格を得ることは可能なのだ。

こうやって調べてみると、執行猶予というのはいろんなところに影響してきそうだね。
刑務所に入らなくてすむ♪、と思っても、それなりに社会的制裁としての制限はかけられているようなのだ・・・。
何はともあれ、犯罪を犯さないようにするのが大事だよね。
当たり前だけど。

2016/05/28

すって粘ればとろろ

5月だというのに夏日どころか真夏日まで!
これは暑い、というより、熱い。
こうなってくると、もう夏らしいものが食べたくなるわけで。
で、さっそく、とろろそばを食べたのだ。
そこでふと気になったんだけど、とろろに使うイモって何イモ?

スーパーや八百屋さんで見かけるのは、円筒状のイモか、しゃもじ型のイモだよね。
前者は一般的にはナガイモ、後者はヤマトイモとして売られているのだ。
でも、どちらも「ヤマイモ」と呼んでいるような・・・。
さらに、とろろと言えば、自然薯(ジネンジョ)もあるよね。
これも「ヤマイモ」?
そこで、少し調べてみたのだ。

まず、日本で古来から食べられてきた、日本原産のものは自然薯。
種名は「ヤマノイモ」というのだ。
芥川龍之介さんの「芋粥」に出てくるイモだよ。
基本的には野生種で、山に入って取ってくるんだけど、イモが十分に成長している頃にはすでに地上部分の蔓は枯れているので、なかなか見極めがむずかしいみたい。
しかも、地中の石などの障害物を避けて曲がりくねって伸びるので、折らずに取り出すのは難しいのだ(>o<)
なので、今でもむかしでも、高級な食材なんだよね。
鎌倉の自然薯なんて言ったらめちゃくちゃ高いよ。
最近は人工で栽培もできるようだけど。

一方、店頭でよく見かけるのは「ヤマイモ」。
「ノ」が入らないわけ。
これは中国原産のものが中世以降に日本に伝わったものと言われているのだ。
「ヤマノイモ」が英語で「Japanese Yam」なのに対し、「ヤマイモ」は「Chinese Yam」なので、むしろこっちの方がわかりやすいね(笑)
こちらは人工的に栽培がしやすいので、よく流通しているし、よく口にしているはずなのだ。

この「ヤマイモ」にも大きく3種類あって、円筒状のものが「ナガイモ」、しゃもじ型になっているのが「イチョウイモ」、ジャガイモのような丸い形のものが「ツクネイモ」なのだ。
「イチョウイモ」は関東では「ヤマトイモ」とも呼ばれるんだけど、関西で「ヤマトイモ」というと奈良の伝統野菜で「ツクネイモ」の一種の「大和芋」のことなので、さらに紛らわしいのだ・・・。
ちなみに、ナガイモは一番水分が多くて粘りけが少なく、イチョウイモはちょっと粘りけが多め、ツクネイモは粘りけが強い、という特徴があるよ。

どれも生食できるんだけど、一般には、短冊切り・拍子切りにして食べるならナガイモ、すり下ろしてとろろにするならイチョウイモかツクネイモといった感じみたい。
関西ではお好み焼きの生地のつなぎに「ヤマイモ」を入れるけど、これは「イチョウイモ」か「ツクネイモ」みたい。
ノリに挟んで磯辺揚げにするときは、一番水分が少なくて粘りけの強い「ツクネイモ」がよいようなのだ。

ちなみに、ナガイモは煮たりり上げたりして火を通すとふっくらとした食感に変わって、それはそれでなかなかおいしいんだよ。
この性質は「ヤマイモ」でも「ヤマノイモ」でも同じで、熱を通すと粘りけのもとであるムチンが変質するので、ふわっとした感じに変わるのだ。
この性質が利用されていて、薯蕷(じょうよ)饅頭とかかるかん、きんとんなどに使われているのだ。
和菓子の材料としても重要なんだよね。

「ヤマノイモ」はさらに粘りが強くて、独特の風味があるのだ。
アクもあって、「ヤマノイモ」は切断面がすぐに変色するよ。
通常はすり下ろしてからだし汁などでよくのばしてとろろにするんだ。
ナガイモ類だとそのままたれを入れればちょうどよいかたさになるんだけど、「ヤマノイモ」の場合は粘りけを見ながら調節した方がいいのだ。
そうでないと、箸でつまめるくらいの粘りがあるからね・・・。

というわけで、これがわかればなんとなく選べるようになるね。
そう言えば、実家でとろろ汁を作るときは、「ナガイモ」と「イチョウイモ」をブレンドしていたような。
これはこだわりがあったんだなぁ。

2016/05/21

上野で名品を展示する

上野にある国立西洋美術館本館が、世界文化遺産への登録に近づいたのだ!
上野でよくのぼりなんかを見たけど、地元も相当応援していたんだよね。
東京都は、小笠原諸島が自然遺産に指定されているけど、文化遺産はないので、仮に指定されればこれがはじめて。
なので、俄然盛り上がってきたのだ。

もともと、この建物単体での申請ではなくて、近代建築の三大巨匠にも数えられるル・コルビュジエさんの建築のひとつとしての申請なんだ。
世界7カ国に散在する23件の建造物がまとめて申請されているんだけど、こういう申請もはじめてのことだったみたい。
ガウディの作品群みたいに、国内数カ所に散在くらいはあったようなんだけど。
しかも、通常政界遺産への申請は国ごとに「枠」があって、日本で申請するときもまず国内で「予選」があるんだけど、今回はフランス枠での申請だったんだよね。

で、この美術館が建てられたのには、なかなか興味深い経緯があったのだ。
それは、国立西洋美術館の根幹とも言える、「松方コレクション」の変遷が関係しているんだよ。
このル・コルビュジエによる本館は、まさに「松方コレクション」を所蔵・展示するために建造されたものなのだ!
企画展は見に行っても常設展は見ない、なんて人は多いけど、これを機会にぜひぜひ常設展示も見てもらいたいものだよね。
ま、実際に指定されたら、何かそれで企画をしそうだけど・・・。

「松方コレクション」というのは、対象から昭和初期に川崎造船所(川崎重工業の前身)の初代社長を務めた実業家の松方幸次郎さんの美術品コレクションのこと。
この人は、第6代内閣総理大臣の松方正義大勲位の子息なのだ。
第一次世界大戦による船舶需要で業務拡大をしていった松方氏は、欧州で船の売り込みをしている最中に美術品を収集し出すのだ。
収集の経緯や目的は諸説会って明らかじゃないんだけど(本人が著作等を残さなかったため)、ロンドンの画商で興味本位に買ったのが始まりとか。
その後、ロンドンでの買い付けをはじめ、パリなどでも美術品の買い付けをし、西洋近代美術作品や、フランスの宝石商の持っていた一大浮世絵コレクションなどを購入するのだ。
さらに、彫刻家のロダンの代表作もまとめて購入しているんだよね。

こうして、松方氏は美術収集家として一気に名をはせ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルノワール、モネ、モローなどの作品がコレクションに加えられていくことに。
まさに世界的なコレクションになったんだよね。
けっきょく目録が作られていなかったので正確な総数は不明なんだけど、最終的には、絵画約2,000点、浮世絵約8,000点、そのほか彫刻や工芸品などがあったと考えられているよ。
特に、海外に流出した浮世絵を取り戻した功績が大きいんだよね。
国内では、というか、江戸時代は浮世絵は庶民のもので「芸術作品」とは見なされておらず、ほとんどものが残っていなかったので、こうして海外に流出してものを取り戻さないと現在まで残っていなかったおそれがあるんだよね・・・。

松方氏自身は自分で美術館を作って、と思っていたようなんだけど、運悪く世界恐慌のあおりを受けて川崎造船所の業績が悪化して経営破綻。
夫妻整理のために松方氏も私財を手宇供せざるを得ず、国内で保管していたコレクションは散逸することになってしまったのだ(>o<)
このときに手放された西洋絵画の一部は、今ではブリヂストン美術館や大原美術館に収蔵されているよ。
浮世絵については皇室に献上され、それが帝室博物館に下賜されたので、現在では東京国立博物館が所蔵しているのだ。

一方、海外にあったコレクションはそのまま保管され続け、散逸は逃れたんだけど、やはり不幸に見舞われるのだ・・・。
ロンドンに保管されていたものは火事により焼失。
これは約300点と推定されているよ。
パリに保管されていたものは、ナチス・ドイツのパリ侵攻の際に接収されそうになるも、辛くも逃れたんだけど、日本の敗戦に伴い、仏国政府に押収されてしまうのだ。
基本的には国の資産はそのまま没収、個人資産は原則その個人に返還する、というはずだったんだけど、あまりにも優れた美術品だったがために、返還されずに仏国政府のものとされてしまうのだ。

しかしながら、日本としてもこれだけのすばらしいコレクションを失うわけにはいかないと返還交渉を続け、吉田茂首相が1951年のサンフランシスコ講和会議の際に仏の外務大臣に要求し、やっと返ってくることになったんだよね(なお、この朗報を聞くことなく、1950年にすでに松方氏は鬼籍に入っていたのだ。)。
ただし、仏国政府はすでに自分のものと思っているので、「返還」ではなく「寄贈」と主張し続けていて、仕方なく「寄贈返還」とかいう形態で返ってくることになったのだ。
また、このとき、全部を返したわけでもないのだ(返ってきたのは約430点のうち約370点)。
コレクションの中でも特に重要と思われるゴッホやゴーギャンの作品はそのままフランスに残ることに・・・。
有名なのは、オルセー美術館所蔵の「アルルの寝室」という作品だよ。

しかも、この「寄贈返還」に当たっては、仏国政府はいくつか条件をつけてきたんだよね。
それが、①展示に当たって専用の美術館を設置すること、②美術品の輸送費は日本側で負担すること、③ロダンの「カレーの市民」の鋳造火は本革が負担することの3つ。
で、この①の条件に基づいてできたのが国立西洋美術館というわけ。
でも、美術館設置に当たっても、まだまだ苦難の道が続いていたのだ・・・。

当時の日本は財政難で、とてもじゃないけど新しい美術館を建設するお金がなく、東京国立博物館の表慶館(大正天皇の御成婚を記念して作られた日本発の美術展示館)に展示することでお茶を濁そうとするんだけど、仏国政府は不快感を示し、改めて新美術館の建設を要求してきたのだ。
そこで、実業家で政治家だった藤山愛一郎さんが呼びかけて寄付金集めが始まったのだ。
さらに、補正予算でも建設費の一部が認められ、当時の金額で約1億5千万円という建設費が用意できたのだ。
これが1954年11月のこと。

ここからは展開が早く、建設候補地に上野の現在地が指定され、設計をル・コルビュジエさんに依頼することも年内に決まったのだ。
翌1955年に建設予定地に鍬入れを行い、ル・コルビュジエさん本人も現地を視察。
更に翌年の1956年にはル・コルビュジエさんから基本設計案が届き、1957年にはそれが実施設計案となって、国立西洋美術館本館が竣工するのだ。
1959年に仏国政府からコレクションの引き渡しが行われ、その年の6月に一般公開が始まることに。

で、この「寄贈返還」された「松方コレクション」を軸に、西洋美術史に沿うような展示ができるよう、ルネッサンス期の「オールド・マスター」の購入が進められ、現在の収蔵コレクションができあがったんだ。
国立西洋美術館の敷地内や本館1階にロダンの彫刻作品が多いのは、「松方コレクション」に由来するからなんだよ。
というわけで、こうして日本における西洋美術の殿堂ができあがったわけだけど、数々の苦難を乗り越えた経緯を知ると、今回の世界遺産登録へのICOMOSの勧告というのも感慨深いね。

2016/05/14

経歴詐称なのか?

日銀の審議委員の「経歴詐称問題」が出てきたのだ。
例の「ほらっちょ」さんとは違って、行ってもいない学校名を書いたりしていたわけではないんだよね。
問題は、「博士課程修了」という表現。
今回話題になっている有識者は、博士課程には進学したけど、博士号は持っていない人。
それで経歴に「博士課程修了」と書いていて、これが詐称に当たるのでは?、と騒がれているのだ。

日銀によると、博士号取得者の場合は、「○○博士」と経歴上明記するようにしていて、「博士課程修了」は「単位は取得したけど博士号を取得していない人」に対して使っていると弁明しているのだ。
確かに、そう表現されることもあるんだけど、多くの場合は、「単位取得退学」とか「満期退学」という言い方をして、「修了」という表現は使わないようにするのだ。
理系だと博士課程在学中に博士号を取得できる例が多いのだけど、人文系の場合は、多くの場合「満期退学」して大学教員などの研究職に就いて、定年間際に論文博士で博士号を取得する、という例が多かったんだよね・・・。
なんでそうなっているのかはよくわからないけど。

で、今回も「経済学」らしいので、上記の例に漏れず、なかなか博士号が出ない分野ではあったのだ。
なので、通常は大学院に進学しても、博士号は取得せずに就職するのがおきまりだったはず。
本人としても、別に変なことはしていない、という認識だったはず。
ただ、表現が正確かと言われると、実はまずかったようなんだよね。

学位についてはきちんと法令上の位置づけがあって、ルールの下に運用されているのだ。
まず、学校教育法(昭和23年法律第26号)の第104条第1項で、「大学(第百八条第二項の大学(以下この条において「短期大学」という。)を除く。以下この条において同じ。)は、文部科学大臣の定めるところにより、大学を卒業した者に対し学士の学位を、大学院(専門職大学院を除く。)の課程を修了した者に対し修士又は博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し文部科学大臣の定める学位を授与するものとする。」と定められているのだ。
ここで重要なのは、「授与することができる」ではなくて「授与するものとする」と規定されていること。
すなわち、「博士課程の修了」=「博士の学位授与」ということなのだ。
これを受けて、学位規則(昭和28年文部省令第9号)第4条第1項で「法第百四条第一項の規定による博士の学位の授与は、大学院を置く大学が、当該大学院の博士課程を修了した者に対し行うものとする。 」となっているよ。

では、「博士課程の修了」とは何かと言うと、、大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)の第17条第1項で「博士課程の修了の要件は、大学院に五年(・・・)以上在学し、三十単位以上を修得し、かつ、必要な研究指導を受けた上、当該大学院の行う博士論文の審査及び試験に合格することとする。ただし、・・・」と規定されているのだ。
これによれば、規定数以上の単位の取得+論文審査・試験に合格の両者が必要なんだよね。
つまり、論文審査が通っていない状態で、単位取得のみの場合は、博士課程は修了していないのだ!
なので、「単位取得退学」≠「博士課程修了」ということだよ。

というわけで、ルール上は博士号を取得していない人は博士課程を修了していないことになるのだ。
というか、博士課程を修了すると自動的に博士号が授与されることになるので、博士号を取得せずして博士課程は修了できないというわけ。
ただし、上にも書いたように、俗に「「大学院博士課程の単位取得」を「博士課程修了」と表現し、「博士号取得」と「博士課程修了」を区別する表現が行われていたために起きた混乱なのだ。
なんか「退学」というネガティブな響きがあるから、「満期退学」とか「単位取得退学」とはしたくなかったんだろうけど、ギリギリを正確性を追求すると「博士課程修了】と書くのはウソになってしまうんだよね・・・。
「でき婚」を「さずかり婚」と言うみたいに「満期退学」をもう少しポジティブな表現に言い換えられれば、こういう混乱はなくなるかもしれないね。