2023/11/25

くさいものには・・・

 「デスマフィン」なるものがネット上をにぎわせているのだ。
そう、デザフェスで3,000個販売されたというマフィン。
納豆のようなにおいがした、糸を引いていた、食べたらおなかを壊した、などの報告が相次ぎ、食中毒事案として報告され、回収されることになったんだよね。
その回収と返金の対応が、ということでさらに炎上しつつあるけど。
どうも、個人でやっているお店のようで、対応にも限界はありそう。
だからこそ、そういうイベントで大量販売というのはリスクがあったわけだけど。

厚生労働省の食品リコール情報のページで公開されているものはこれ
「食品衛生法違反のおそれ」という名目になっているんだけど、回収数・回収率なんかも公開される仕組みなんだね。
こんなのがあるの初めて知った。
消費者庁の方は食品以外も含めてリコールのあったものについて情報を公開しているけど、やはり厚生労働省の方のサイトの方が情報量が多い。

で、この厚生労働省の方のサイトで、今回のリコール事案が「CLASS I」になっていることも話題なのだ。
最悪死亡事例も出るおそれがある、という最上位クラスらしい。
今回報告されているのは「腹痛、嘔吐、下痢」なんだけど、こういう食中毒は、老人や子供がなくなるケースもあるからね。
で、このクラスは最強の毒と言われているボツリヌス毒素やフグ毒のテトロドトキシンと同じ分類になるので、「デスマフィン」なんて呼ばれ始めたのだ。
せいぜい「腐敗したマフィン」だとは思うんだけど。
まずはものを回収したうえで今後分析してから、ということなんだろうけど、おそらくは普通に「雑菌が繁殖して腐っている」だけだとは思うんだ。
ボツリヌス菌があるのかどうかは今のところ不明。

すでに情報があふれているけど、このお店は個人で回しているようで、こういうイベントに参加する際は、普段やっているお店を閉め、「作りだめ」して臨むようなんだよね。
本人がSNSで発信していた内容によれば、5日間朝から晩までお菓子を作り続けていたらしい(マフィン以外にもクッキーなどの商品あり。)。
で、この先に作っておいた商品の保存状態が悪くいて、ダメになってしまったのだ。
これも本人が発信しているところによると、冷房を聞かせた常に18度以下を保った部屋に置いておいた、というんだけど、4度の冷蔵ならまだしも、それって温度高すぎじゃない?、と直感的に思うよね・・・。
買った後は冷蔵保存を推奨しているみたいだし。
しかも、放送されているラップの状態などを見るに、完全に冷め切っていない、まだ温かい状態でラップでくるんでいるのではないか、とみられているのだ。
そうなると、ラップで保温・保湿が保たれて、まさに雑菌が繁殖しやすい環境になっている。
過去にも同様のイベントに出店していたみたいだけど、そのときはこういう話は出なかったのだろうか?

大企業の工場で作られる食品の場合、衛生管理がめちゃくちゃ厳しくて、可能な限り雑菌に触れないように製造されるんだよね。
例えば、防腐剤がたっぷり入っているからなかなか腐らないといわれているヤ〇ザキのパンだけど、実際はほぼほぼ無菌状態で製造されているので、未開封状態であればほぼ雑菌フリーで腐りにくいのだ。
一方で、街中にあるパン屋さんの場合はそこまで衛生管理ができないわけで、どうしても雑菌に触れてしまうから腐りやすいのだ。
つまり、防腐剤の有無の問題じゃなく、製造過程の腐敗の原因となる菌の有無の問題なのだ。
今回のマフィンの場合、本人がSNSで発信していた画像を見る限り、正直、5日間常温で放っておいていいような環境ではなさそう。
これはもう知識不足からくる「人災」なんだよなぁ。

ちなみに、ボツリヌス菌の場合は、そこらへんの地面に普通にいる「芽胞」の状態だと熱に強く、いわゆる「オートクレーブ」(密閉容器に入れて120度で4分以上加熱)しないと常温保存可にはならないのだ。
普通に焼き菓子として招請してラップにくるんだけじゃなねぇ・・・。
しかも、金は死んでも、毒素は毒素として残っていて、この毒素を失活させるには、80度で30分以上(100度なら数分以上)の過熱が必要。
今回の場合で言えば、焼く直前まで作業したものを低温で冷蔵又は冷凍しておいて、当日焼いてその日のうちに消費、というのが正しいみたいだ。
でも、イベントでは「焼きたて」として売られていたみたいなんだよなぁ。

2023/11/18

反省してまーす

 タカラジェンヌのいじめの問題で、運営側が調査結果を会見で発表したのだけど、案の定というか、やっぱり炎上したのだ。
そもそもやる気なさそうだったけど、「いじめはなかった」というのは終始言い訳するような形だったからね。
そりゃあ、反菅感情を抱かれるよ。
おそらく、後世に語り継がれる「失敗謝罪会見」の例のひとつになってしまったね。

欧米式だと、「謝罪する」=「自らの非を認める」で、会見でもなんでも謝ってしまうとその時点で賠償することをコミットすることになるので、絶対に謝らないんだよね。
それはそういう文化だから仕方ない。
そもそも基本的にもめごとは司法で判断して決着させる、というのが基本の人たちだから。
訴訟する、ということに躊躇がないし、下手に和解などせず、自らの正当性を主張するんだよね。
で、バックグラウンドがそうであればいいわけだけど、日本は違うのだ。

日本の場合、一般的にさいばんいなる、ということ自体がハードルが高いんだよね。
訴訟を抱えている、というのがネガティブに受け取られるのだ。
しかも、民事でも刑事でも裁判には数年かかるのが通例なので、できるだけ訴訟を避け、調停に臨んで和解・示談を目指すわけ。
その意味では、裁判で白黒つけることが目的ではないので、いかに誠意を見せて少しでも自分に有利なように和解・示談をまとめていくか、という方が大事。
基本的には和解でも示談でもお互いに歩み寄るわけだけど、謝罪会見が必要な場合は往々にして自分の方が悪いと思われているわけで。
ここで「自分は悪くない」という態度をとるのは日本の文化の中では「悪手」にしかならにのだ。

多くの失敗謝罪会見はそうなのだけど、ぼうとう頭を下げてすぐに「言い訳」を始めてしまうんだよね。
そうすると、形式上謝ってはいるけど、けっきょく悪いとは思っていないんだな、形ばかりの反省・謝罪なんだな、と受け取られ、かえって印象が悪くなるのだ。
今回の宝塚の件についても、「こういう不幸な事態が発生したことの責任を運営側としても強く感じており、今後二度とこうしたことが起きないよう最善の努力をしていきたい」といった話から始めるべきだったわけ。
そのうえで、「第三者により内部調査をした結果、かならずしもいじめがあったのかどうかは明確に確認できなかったが、実際にそこまで悩んでいた生徒がいたことを重く受け止め、〇〇など対応策を講じるとともに、さらなる対応策についても検討していきたい」みたいに続けないといけないのだ。
「いじめは確認できなかった」とだけ言うと、運営側には非はない、と開き直っているようにしか見えないからね。
っていうか、本心では「自分は悪くない」と思っていて、それが前面に出てしまっているのだろうけど。

こういうのは組織の危機管理の一環で、リスク・コミュニケーションという分野なんだよね。
そういうのが得意なコンサルもいるんだけどなぁ。
阪急ほどの大手の会社ならそういう専門スキルを持った部署もあるだろうに。
例えば、欧米式の「決して非を認めない謝罪会見」でも、まず頭を下げて、「(自分に非はないんだけど)このような形で関係各所に御心配・ご迷惑をおかけしたことについては申し訳なく思っています」と、謝罪する中身をうまくすり替えるのだ。
やっぱり何かトラブルや不祥事が起きている中で、開き直っているように見えるのは得策ではない、ということなんだよね。

そういう意味では、自分は悪くないという説明に終始するような会見だと、スノボの國母選手の「反省してまーす」という受け答えと大して変わらないことになるのだ・・・。
で、突っ込まれると逆切れして「ち、うるせーな」となるわけで。
少なくとも人がなくなっているんだし、もうちょっとやりようがあったなんじゃないかとは思う。
ま、後からだから言えることかもしれないけど。

2023/11/11

いつの間にか闇バイト

 ネットの記事でおそろしいものを発見したのだ!
X(旧ツイッター)の「お金配り」が特殊詐欺の闇バイトの入口だった、という話。
某社長が本当に配ったりしているから「全部詐欺」とは言わないけど、普通に考えればそんなうまい話はないよねぇ。
せいぜい銀行口座ほかの個人情報を抜かれる程度かと思っていたら、いつの間にか詐欺に加担させられていたんだって。
当然、本人にその意識はないので警察に逮捕されても否認・・・。
拘留が長引くのだ(>_<)

単純化した図式はこういうことらしい。
よくわからないアカウントが「お金配り」を実施。
「このアカウントをフォローしてリツイートしてくれたアカウントから抽選で〇名様に〇万円が当たります」とかなんとか。
フォローだけならとやってみると、「当選したので振込先の銀行口座を教えてください」との連絡が来る。
やったー!、と思ってそれに返信すると、確かに〇万円が振り込まれた♪
詐欺かと思ったけど本当だったんだ、とここで安心する。
その後、よく知らない人からいきなり大金が銀行口座に入金されてびっくり。
ほどなくして、〇万円くれたアカウントから、「誤ってそちらの口座にお金を入金してしまったので返してほしい、大金なのでできれば手渡しで、持ってきてくれたら謝礼は払う」とかなんとか連絡が来る。
前に〇万円くれた人だし、またなんかもらえそうだし、と思って言われた通り、自分の口座に振り込まれた大金を引き出し、指定された場所までもっていく。
すると、そのうちのいくらか(〇万円よりさらに多いくらいの金額)を謝礼でもらえた、ラッキー。
ところが、しばらくして警察がやってきて詐欺容疑(受け子)で逮捕。

特殊詐欺の場合、被害者に振り込ませる銀行口座から身元が割れるので、多くの場合はそれを避けるように金のやり取りをするのだ。
ひとつあるのは、借金などで首の回らなくなった人に持ち掛け、その人の口座を詐欺の振込先に使うこと。
その人は被害者から振り込まれると現金を下ろして元締めのところに持っていくと、いくらか分け前がもらえる、という仕組み。
これがいわゆる「出し子」。
長続きしないし、基本はトカゲの尻尾きりで、本当の元締めが誰かもわからず、という感じなんだよね。
銀行口座を使わずに、被害者に指定場所まで現金を持ってこさせて、それを代わりに受け取るのが伝統的な「受け子」。
こっちは特殊詐欺の形態によって少し演技が必要で、「オレオレ詐欺」で「興津事故を起こして示談金が必要」とか「会社の金を横領して補填しないと首になる」みたいなやつはそれ相応の受け取り方をしないといけないのだ。
そういう意味でちょっと難しいんだけど、詐欺グループからすれば、やはり使い捨てにしないとまずいポジション。

そこで、この二つのいいとこどりで組み合わせたのが、うえで照会したような新たな手法。
そもそも本人は詐欺の片棒を担いでいるという認識もないし、むしろ、間違って入金されたお金を返してあげてる、いいことした、くらいに思っているのだ。
実際は、詐欺の被害者から入金された金を詐欺グループのもとへと運んでいるだけなんだけど・・・。
捨てアカで最初の「お金配り」をしておけば足もつきづらいし、最初にちょっと必要経費はいるけど、あまり考えなしに引っかかってくれる人が次々と現れるしで、闇バイトを募集するよりはいいみたいだ。
ルフィ一味も場合も、闇バイトにスマホで指示していた内容がばれて捕まるに至ったわけで、そもそも相手に犯罪行為に加担していると意識させずに行動させれば足がつきにくいのだ。
いやあ、巧妙になっていくなぁ。

もうこういうのはイタチごっこで次から次へと新しい手法が開発されるわけで、恐ろしいことこの上ないよね。
自分がいつの間にか犯罪者になるんだから。
やっぱり、世の中に早々うまい話はない、ということで、そういうのには飛びつかず、地道にやる、というのがよさそうなのだ。

2023/11/04

100時間後に食べるワニ

 広島県の山間部には「ワニ料理」というのがあるのだ。
かつてヤクルト・スワローズにいたパリッシュは本物のワニの肉を食べていたけど、こっちはサメの肉。
サメは古語で「ワニ」と言うんだよね。
記紀神話の「因幡の白兎」に出てくるやつ。
これももともとは出雲の話だけど、山陰地方ではワニを食材として獲っていたみたい。
ただ、なぜ山間部?

答えは単純で、サメやエイなどの軟骨魚類は体内の浸透圧調整のために尿素を用いているんだけど、これが死後に分解されて出てくるアンモニアが身を腐りにくくしているのだ。
アンモニアが発生すると臭くはなるけど(世界で最も臭い料理のひとつであるホンオフェはエイの肉をツボの中で発酵させたものだよね。)、これにより身がアルカリ性になるので、腐敗菌の繁殖を妨げるのだ。
なので、可能などせず、生の肉のまま比較的長距離運べるのだ。
若狭湾でとれたサバを京都に届ける鯖街道というのが有名だけど、輸送に丸一日かかるので、塩をしてから運んだんだよね。
そうすると京都につく頃ちょうどよいつかり具合で、それを使って京料理の代表でもある鯖寿司が作られたりしたのだ。
京の都は海に面していない内陸なので、川魚以外の魚介類は基調で、非常に丈夫で生きたまま運べるハモが珍重され、塩サバや身欠きニシンのような加工食材が京料理によく使われていたんだよね。

サメを食べる習慣は実は栃木にもあって、こっちでは「モロ」とか「サガンボ」と呼ばれるんだよね。
普通にスーパーでサメ肉が生で売っているほど。
ちなみに、栃木で売られているサメ肉の「モロ」は、気仙沼で水揚げされたサメのフカヒレをとった後のものが流通しているみたい。
無駄がないけど、宮城はほかに雄々しい魚介がたくさんあるから自分たちは別のものを食べるのだ(笑)
今は冷蔵輸送ができるので臭くないけど、当時はちょっとアンモニア臭がするけど生で食べられるサメ肉は貴重な食材で、臭みけしにショウガを薬味に使ったりしたみたいだよ。
川魚はサケ・マス類を代表に寄生虫がいて生食がきついから、どうしても刺身を食べたい場合はサメになるんだよね。
北海道まで行けば半分凍らせて「ルイベ」のような形で食べることはできるのだけど。

で、その頃の食習慣が現在も残っている地方が山間部に残っている、というわけなのだ。
サメ肉は低脂質・高たんぱくでヘルシーなんだけど、火を通すとパサつきがちなので、伝統的な食べ方は刺身か湯引き(ちょっと臭みが抑えられる)にするか、いっそよく煮込んで煮凝りにしたんだよね。
現在ではフライなんかの揚げ物にもするみたいで、あまり火を落としすぎないとプリッとした良い歯ごたえの白身フライになるそうなのだ。
工業的には練り物の材料に使われているくらいで、臭みがなければ白身魚としては優秀な食材なのだ。

実は、サメはわりと簡単に獲れるものなので、むかしから食べられてはいるみたい。
三内丸山遺跡からもアブラツノザメを食べていた痕跡が見つかっているくらい。
他の魚を取る場合も「外道」として一緒に取れてくるので、干物にしたり、山間部に流通させたりと無駄なく食べていたようなのだ。
特に食味が良いのは、「サガンボ」と呼ばれるアブラツノザメと、「モロ」と呼ばれるネズミザメで、臭みが少なく身がおいしいとされているよ。
こういうのを聞くと、見かけたら食べてみたくなるよね。

2023/10/28

死中に活を見出す

アンパンマンは自分(の顔の一部)を食べさせて弱っていくだけだけど、自然界はもっとしたたか。
果物なんかは甘い果実を動物や鳥に食べさせ、種子を遠くに運んでもらって広がっていく、という戦略をとっているのだ。
なので、種子は簡単に消化できないようにかたい殻に覆われているわけだよね。
人間なんかは種を取って食べてしまったり、種なしの品種を作ったりもするけど、スイカなんかだとついつい飲み込んでいて、排泄物と一緒に出てくることもあるのだ。
動物や鳥なら、自分の行動範囲でそうやって未消化の種子を運んでくれるわけ。

で、実はこれと同じ戦略を昆虫もとっているのではないか、と話題になっているのだ。
それが神戸大による「ナナフシモドキ」の研究
ナナフシ目の昆虫の中でもナナフシモドキはオスが極めてまれで端正生殖をすることで知られているのだけど、この昆虫がその戦略をとっているのではないか、と調べてみたんだそうな。
羽がなく、飛翔能力が欠如しているので、自分で動ける範囲ではそこまで広がってはいかないはずなんだけど、様々な場所で遺伝子解析をした結果、どうも同じ遺伝的バックグラウンドのものが広がっていることがわかったのだ。

で、実際、ヒヨドリのフンの中には未消化のナナフシモドキの卵があって、それは実際に孵化させることが可能なんだとか。
で、ナナフシモドキ自体は枝などに擬態していてむしろ鳥に食べられにようにしているのだけど、仮に鳥に食べられても、メスの場合はおなかのなかにすでに固くなっている卵がたくさん入っていて、そのうちの一部は未償還御状態でフンの中に排出されるんだとか。
そうすると、捕食された場所から離れたところで卵がかえって、ナナフシモドキの生息範囲が広がるのだ!
まさに、「転んでもただでは起きない」を地で行く戦略。
今後は、ナナフシモドキ以外の昆虫でも同様の現象がないかさらに調査を進めるんだそうだよ。
将来世代を捕食されて遠くに運んでもらうのは植物だけではなかったのだ。

そして、ほぼ同時期に、同じような話がやはり話題になったのだ。
それは、ニホンリスが毒キノコの代名詞とも呼べるベニテングダケをかじっている写真。
どうも、ニホンリスはベニテングダケや天狗岳のような人間には毒性のあるキノコを普段から食べているらしいんだよね。
まだ詳細が解明されたわけじゃないけど、おそらく、リスの場合はこれらのキノコの毒に耐性を持っているのだ。
でもでも、キノコも食べられるわけじゃないのは当たり前。

もともと「キノコ」と呼ばれるものは、胞子を放出・拡散させるための器官である子実体と呼ばれるもの。
外から刺激を受けると粉上の胞子を放出して、周りに生息域を広げるのだ。
ただ単に放出しただけだとすぐ近くにしか広まらないけど、風に乗ったり、昆虫や動物の体表面に付着すればもっと遠くまで行けるわけ。
触ると粉を吹くキノコはまさにこういう戦略。
で、今回の場合は、キノコを食べたリスが遠くで未消化の胞子の入った排泄物を出すことにより、生息域を広げる、ということのようなのだ。
もともと胞子の状態はわりと強いので、そうではないか、と考えられているようだよ。

リスといえば、クルミやドングリを後で食べようと地中に隠しておくんだけど、その一部は結局食べられないまま忘れられ、そこから新しい目が出る、というのも有名。
そういう木の実だけでなく、どうもキノコを拡散するのにも貢献しているようなのだ。
イノシシやシカのような大型の動物に食べられてしまうと根こそぎいかれるけど、リスくらいの大きさなら多少たべっれても大丈夫、ということなんだろうか?
謎は深まるばかりだ。
僕は前から秋になると出てくる「リスがキノコをかじっているイメージ」というのはリアルではないと思っていたんだけど、リスはこうして毒キノコを食べるそうなので、むしろリアルなことだったようなのだ。
びっくり。

2023/10/21

世を忍ぶ、仮の・・・

日本の風俗の中には、いろんな宗教がごちゃまぜで混ざっているんだよね。
例えば、多くの日本人は初詣に神社に行き、お彼岸やお盆にはお寺に墓参りに行き、ハロウィンに仮装して大騒ぎし、クリスマスにプレゼント交換をするわけだよね。
すでに神道と仏教、儒教、ケルト信仰、キリスト教が混在している!
これはいまに始まったことではなくて、仏教伝来以降、徐々に徐々に日本古来の進行と仏教は混ざっていって、そこに中国の道教や儒教も影響も加わり、という感じだったのだ。
そもそも、仏教が日本に伝来する段階で、インドで生まれた原始仏教は地元でヒンドゥー教を取り込み、チベットを経て中国に伝わる間にさらに変容し、それが伝わっているわけで、純粋な仏教ではなく、すでにいろんなものが混ざった状態で来ているのだ。
そもそも、お釈迦様の教えでは偶像崇拝で禁止で、そのために「仏足石」やら「舎利」やらをありがたがっていたはずなのに、日本に伝来するころにはもう仏像があるわけ。
これは世界宗教化していく過程でいろんなところの土着の進行や風俗を取り込んでいくから仕方がないこと。

で、日本におけるその最たるものが、「本地垂迹説」。
日本の神様の本体は仏様で、日本においては神様という仮の姿をとって顕現しているのだ、というもの。
これを「権現」というのだ。
「権」は「仮の」とか「臨時の」という意味。
例えば、東大本郷キャンパスのすぐ近くにある根津神社は根津権現とも呼ばれるけど、御祭神はスサノオノミコトで、その本地仏は十一面観音と言われるのだ。
世界遺産でもある比叡山延暦寺と日吉神社の関係で言うと、伝教大師最澄が開山する前から土着の信仰(山王信仰)を集めていた地主神が日吉神の本地仏が大日如来で、この日吉神こそは大日如来の権現である、とするのが、天台宗から出てきた山王神道の考え方なのだ。
キリスト教において地元の神様を「守護天使」のような形で取り込んでいったのと同じようなことなんだけど。
(敵対していた異教徒の神は悪魔にされてしまうんだよね・・・。)

で、中世以降、仏教と神道は「神仏習合」して、一体不可分な形で信仰されていたんだよね。
っていうか、新党には明確な教義とかないし、一般大衆は深く宗旨などを理解して信仰していたわけでもないので、そういうありがたいものだ、という信仰形態だったのだ。
そもそも修験道なんかは仏教なのか神道なのかよくわからない信仰だよね。
大きな神社には別当寺や神宮寺と呼ばれるお寺が併設され、お坊さんたちが神社のお世話もしていたのだ。
なので、日光なんかは、今でいう日光山輪王寺と日光東照宮、二荒山神社が混然一体となって日光権現として信仰されていたんだよね。

転機が訪れたのが維新後の明治期。
天皇中心の統治機構を整備しようと国家神道の枠組みを作ろうとしたわけだけど、その時に出た神仏分離の方針(神仏判然令)が問題だったのだ。
お寺と神社を明確に分けろ、という話になったんだよね。
とはいえ、金勝日体となっていたわけで、そうそう簡単に分離できるわけもなく、というわけで大混乱が起きるのだ。
また、明治政府は必ずしもそういう意図があったのではないかもしれないけど、廃仏毀釈の流れもできて、寺院はすたれていくことに・・・。
東京深川の冨岡八幡宮は百貫神輿で有名だけど、そのお隣の深川公園にはもともと永代寺というお寺があったのだ。
でも、この時の神仏分離でお寺と神社が切り離され、廃仏毀釈でお寺だけなくなっちゃったんだよね・・・。
そのあと、成田山新勝寺の東京別院である深川不動堂ができたので、今では別のお寺があるのだ。
永代寺は、江戸六地蔵があって江戸庶民の信仰を集めていたお寺なんだけど、そういうおテレでも時代の波には乗り切れなかったのだ。
都内には上野と芝に東照宮があるけど、これらもそれぞれ寛永寺と増上寺からそのときに分離されたんだよね。
徳川将軍家の菩提寺で墓所もあるようなお寺だからこそ東照宮も造営されたわけだけど、そういうのも無視して、切り離すしかなかったのだ。

こうして、いわゆる「権現」という名称は正式には消えていったのだ。
今でも残っているのは通称で、明治期にだいたい「〇〇神社」という名前に改称させられているのだ。
神道を中心にしようとすると、仏教の神様が本体で、日本の神様としての姿は仮のものです、というのはあんまり都合がよくないのだ。
このとき、巻き添えを食ったのが「明神」という呼び方。
もともとは霊験あらたかな神様の尊称として、地域名に明神号をつけて呼んでいたんだよね。
神田明神も通称では残っているけど、正式には神田神社になっているよ。
神社のヒエラルキーを無理矢理整備しようとしてなんの神様が祀られているのかよく分からない神社のご祭神も一つ一つ決めていったんだよね。
この明神号というのは便利で、その土地の有力な神様という呼び方なんだよね。
なので、そうやってこじつけでも神様を特定しちゃうとそっち系統の名前に変えるように、となるのだ。

神田明神の本来の御祭神はオオナムチノミコトで、そののちに御霊信仰の祟り神として平将門公がまつられたんだけど、明治になって陛下が御幸するにあたり、逆進である将門公が祭神ではまずいと、茨城大洗の磯前神社からスクナビコナノミコトを勧請し、差し替えたりしているんだよね。
そんなに足したり引いたり簡単にできるのか、と感心しちゃうけど。
でも、おそらく江戸庶民の間では将門公をまつった経緯なんてあんまり意識されていなくて、江戸の総鎮守として信仰されていたんだよね。
こういう、どの神様がまつられているかよくわからないんだけど信仰を集めている神様の名称としては「明神」というのは便利なんだよね(笑)
実際、御祭神不明の神社はたくさんあって、明治期に無理やり記紀神話に出てくるメジャーな神様を比定したなんて話もあるので、神話上の神様の特徴とその地元で信仰を集めているかどうかはまた別の話ということなんだろうね。

2023/10/14

因果で因縁

ジャニーズ問題も引き続き炎上しているけど、旧統一教会問題も、いよいよ解散命令かと再燃してきたのだ。
宗教としての教義とか儀式とかについてとやかく言うモノではないんだろうけど、問題は、その宗教団体がいわゆる「霊感商法」のような悪質な活動を行っていることが問題なんだよね。
それが宗教法人法の解散要件に当たるようなものかどうか、というので裁判所の判断が必要なんだよね。
ま、「幸せになる壺」とか「悪運を払うお守り」みたいなのは、「信じる人は救われる」の世界があるにはあるのだけど、それがあまりにも高価なもので、破産したり、多額の借金を背負ったり、生活が破綻したあり、というところまで金を吸い取ろうとすると問題なんだよね。
ま、そこが「程度の問題」で難しいわけ。

程度の差こそあれ、この手のものは歴史的にもいろんな宗教で集金メカニズムで使われてはいるんだよね。
墓地の管理とか永代供養なんかもそうだし、後の宗教改革につながった贖宥状(免罪符)なんかもそう。
神社とかで祈祷をしてもらってお布施を納めたり、各種お守りを授与してもらうのもある意味は近いよね。
おそらく悪質性のポイントは、過度に不安を煽ったり、半ば洗脳していってそうせざるを得ないように追い込んでいくこと。
かつてオウム真理教では、セブンデイズとか呼ばれる合宿に参加させてもうろう状態にして入信させ、全財産を教団に寄付させる、みたいなのをやっていたわけだけど、これはやりすぎってこと。
この壺を買うと幸せになります、はいいとして、買わないと不幸になる、地獄に落ちるなどと脅すのはまずいのだ。
なんか紙一重だけど。

宗教はもともと人の知り得ない、不可知の世界に対する漠然とした不安を払拭するためのツールとして機能してきているのだ。
死んだらどうなるのか、この世界はどのようにできたのか、など。
これに加えて、集団による社会生活が円滑なものとなるような倫理規範を示してきたのも宗教に寄るところが大きいんだよね。
なぜ悪いことをしてはいけないのかにつうて、ゲーム理論などを使って、各自がそう行動する方が最終的には集団にとってプラスになる、なんてのはおそらく証明できるのだけど、それを万人に理解してもらうのはほぼほぼ不可能。
だったら、神様が常にご覧になっていて、悪い子とすると地獄に落ちる、良いことをすれば天国に迎えられる、とした方が受け入れやすい、ということなんだよね。

これと同じようなものが、祈祷であったり、お守りであったりするわけで、物理的には、それによって何らかの効果があるとは証明できないのだけど、気持ちの問題として、そうすると「安心感」を得られる、ということなのだ。
大事なのは、それぞれが心の安定を手に入れることができる、というポジティブな面で機能していること。
キリスト教における教会での懺悔も、あらかじめ神に自分の罪を告白し、許しを請う、ということで、死後地獄に落ちるかもしれないという不安を軽減するのだ。
実は江戸時代以降に出てきた「水子供養」というのもそうで、もともとは東横線の祐天寺駅に名前を残す祐天上人が始めたと言われるシステムで、生まれることなくなくなった胎児、或いは、生まれてもすぐになくなってしまった嬰児たちに、戒名を付けてちゃんと供養をしてあげる、というものだったのだ。

もともと仏教式の供養というのは、使者を敬うものに見えつつ、生者のの中できちんと区切りを付ける、ということが目的なんだよね。
死んでしまってもういない、それを儀式をとして受け入れさせる、というものなのだ。
でも、この水子供養というものができるまでは、七つまでは神のうち、なんていうくらいで、幼くしてなくなるのも当たり前で、ましてや、生まれてもいないような胎児はきちんと供養されていなかったのだ。
でも、親、特に母親にしてみれば大事な我が子であって、その命が失われた、ということなんだよね。
そこで、そうした水子もきちんと供養してあげれば来征に命をつなぐことができる、だから安心してあの世に送ってあげましょう、ということをわからせるのが水子供養の本質。
実は、祐天上人はこれにより女性信者の信仰を多く集め、五代綱吉公の生母の桂昌院やその他大奥の女性は深く帰依していたんだそうだよ。
女性の悩みを救ったわけだよね。

ところが、現代の霊感商法ではこれを逆にして悪用されているんだよね・・・。
あなたが不幸なのは水子をきちんと供養しなかったからたたっているんだ、とかなんとか。
これはむしろ不安を増大させるわけで、それにより心の平穏を欠いて、正常な判断ができにくくなった人をダマして、という構図。
確かに運もあるけど、「運がない」と感じる場合、けっこう自業自得なこともあるわけだけど、多くの人はそれを認めたくないからその原因を外に求めるんだよね。
そういうついてないな、運が悪いな、と感じている人に近づいて、そういう責任転嫁的な自分への甘さをくすぐって、悪い人が近づいてくるわけ。
で、あなたの不運や悪運は呪いや祟りによるものだから、それを祓わないと大変なことになる、と持ちかけるわけだよね。
このとき重要ななのは、全員が引っかかる必要はなくて、百人に声をかけて一人でも引っかかれば、この詐欺的な行為は成立するということ。
けっこう搾り取ればいいだけだから。

こういう極端な例だけ挙げていけば悪質なものは取り締まるべき、とはなるんだけど、厄除けだとか、地鎮祭だとか、おそらく物理的には何も意味をなさない宗教的な行為、しかも、けっこうお金がかかるものが普通な風俗、慣習として世間に受け入れられている中、どこから取り締まるのか、という線引きは実は難しいんだよね。
今回の件はそれの一つのメルクマールにはなるのだ。
ここで一定の基準ができれば、外にも引っかかるところが出てくるんじゃないかな。