2007/06/05

命か、権利か

米国では来年の大統領選に向けて議論が活発化してきたのだ。
共和党、民主党それぞれ大統領選の候補者はあらかた出そろったという感じ。
これから予備選まで資金集めと支持集めが続いて、来年のはじめに両党で候補者を決定、10月のTV討論を経て、11月に本番の大統領選なのだ。

米国の大統領選では、毎回のように「中絶(abortion)」問題が議論になるんだよね。
日本だとそんなに議論になることはないけど、こっちでは、胎児であろうと生命を尊重しようとするpro-lifeの人たちと、中絶はあくまでも女性の社会参加のための権利・選択肢のひとつであって容認されるべきとするpro-choiceの人たちの議論が戦わされるのだ。
保守の共和党はpro-life、革新の民主党はpro-choiceのことが多いよ。
米国はもともと英国から清教徒(ピューリタン)が船でわたってきたところから始まるわけで、今でもキリスト教の戒律にはうるさい人たちがいるのだ。
その一方で、自由の国でもあるから、合理的な範囲では可能な限り選択肢を持てる社会を構築しようともしているのだ。
で、このせめぎ合いがこの中絶問題で表面化してくるという図式。

今のブッシュ大統領は共和党で保守派だから、基本的にはpro-lifeの考え方で、そのためにヒト胚性幹細胞(ES細胞)の研究にも消極的なんだよね。
(すでにあるものは使っていいけど、新たに作ってはいけない、という考え方。実際には連邦予算から研究助成をしないということで、禁止しているわけではないけど。)
その一方で、pro-choiceの民主党はヒトES細胞の研究を進めるための法案を用意して議会に提出するんだけど、そのたびに大統領の拒否権の発動にあって実現しないのだ。
この問題は中絶そのものだけじゃなくて、そういうところにまで影響しているんだよね。
二律背反だからわかりやすいといえばわかりやすいんだけど。

キリスト教では、受精の瞬間から生命が始まると考えるので、中絶は殺人と同じなんだよね。
これはローマ法王庁の公式見解で、前のヨハネ・パウロ2世はわりとマイルドな物言いだったけど、今のベネディクト16世はかなり強くこの意見を表明しているよ。
南米は世界的にもっとも多くのカトリック信者がいる地域なんだけど、その中でもカトリック信者がもっとも多いブラジルで、経口避妊薬(いわゆるピル)を認める法案の動きがあるのだ。
で、先日ブラジルを訪れた法王はこの動きに対して非常に強い懸念を表明していて、米国ではかなり報道されていたんだよ。

ローマ法王庁としては、「夜の営み」は子供をもうけるための行為であって、決して快楽のためだけにしてはいけない、という見解なのだ。
これは仏教の五戒の「不邪淫」も同じだけど、キリスト教の中でもカトリックでは特に厳しいんだよね。
カトリック系信者の多いアイルランドでは実際に中絶が禁止されているんだけど、レイプされて子どもを身ごもってしまった少女の中絶が許されるかどうかが大問題になったこともあるくらい!
そういう見解だから、避妊具を使うことにもローマ法王庁は否定的で、「オギノ式」(もともとは過去の月経周期から次の排卵日を予測する方法であって、不妊治療の目的で開発されたものなんだけど、今ではその逆の避妊法に使われてしまっているのだ。)が「法王も認めた唯一の避妊法」といわれるのもこのためなんだよね。
たしかにローマカトリック教会で唯一認めている避妊法なんだけど、本来的にはバース・コントロールという考え方自体がキリスト教の教えに違反しているはずだから、生まれないように工夫するっていうのはまずいような気もするんだけどな・・・。
人間の自然の周期をうまく使って、人工的な薬や器具に頼らないっていうところで妥協しているのかな?

日本では、「母体保護法」(かつては「優生保護法」)という法律で「限定的」に中絶が認められていて、一般的には刑法で「堕胎罪」が定められているので禁止されていることになっているのだ。
刑法第212条から第216条までの第29章が堕胎に関する罪を定めたもので、妊娠した女性が自分で薬等を使って堕胎しても1年以下の懲役になるし、妊娠した女性から頼まれて堕胎させた場合は2年以下の懲役なのだ。
これに対して、母体保護法では、「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」と「暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」の場合は例外的に人工妊娠中絶を認めているという構図で、この母体保護法が刑法の特別法になって、日本では合法的に中絶が行われているのだ。
で、ほとんどの場合は「経済的理由」というやつで中絶しているんだよね。
たまに母体の健康状態がかんばしくなくて、妊娠状態を継続することが母体の生命を脅かすおそれがある、として中絶される場合もあるけど。
(前の「優生保護法」時代は、優生思想に基づいて「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことも目的になっていたので、当時は遺伝すると考えられていたハンセン病の人は不妊手術をされたり、中絶させられたりしたんだよ。それで悪法であると非難され、昭和23年に改正されて母体保護法になったのだ。)

で、刑法ではわざわざ「堕胎の罪」なんていうのを用意しているくらいなので、「堕胎」は「殺人」でないのだ。
これは、「胎児」は「人」として扱わないってことで、一般には生まれた瞬間から「人」と考えることにして、母親のおなかにいる間は「胎児」として区別するみたい。
一方、民法においては相続や損害賠償に関する条項で、「胎児は既に生まれたものと見なす」、という規定があって、「胎児」であっても「人」と同じ扱いをしていて、刑法とは考え方を異にしているんだそうだよ。
さらに、「生まれた」という状態を、一部でも出てきた瞬間ととらえるのか、全部が出てきた瞬間ととらえるのかでも議論があるし、さらに、帝王切開した場合の扱いや、超未熟児についてどう考えるかなど(これらは自然状態では「生まれていない」ことになるよね。)、グレーゾーンも多くて明確にはボーダーラインが引けないみたい。
なので、個別に判例を重ねていくということらしいよ。
ちなみに、「死体解剖保存法」では、「死体」を「妊娠四月以上の死胎を含む」としていて、妊娠4ヶ月以降なら、死んだ「胎児」も死んだ「人」と同じに扱っていて、また刑法や民法と違う扱いをしているんだよね。
なんだか複雑なのだ。

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