2007/06/20

お風呂

今日のワシントンDCはまるでサウナのような熱気と湿度。
ちょっとの間ならいいんだけど、ずっと外にいるのはつらいよ。
なんだか温室に閉じこめられたみたい。
そんなことを考えていたら、お風呂のことが気になったので、少し調べてみたのだ。

前身を浴槽につける今の日本のお風呂の様式が出てきたのは江戸時代のはじめのころで、それまではお風呂といえば蒸し風呂(サウナのように蒸気にあたるもの)で、半身浴のように下半身だけお湯につかるのは湯屋とか湯殿と呼ばれたとか。
この浴槽にはったお湯に体をつける文化は、6世紀に仏教とともに日本に伝来したと言われていて、寺院で「体を清める」という目的で入浴が行われるようになったんだって。
で、この入浴は一般の人にも施されたので、徐々に浸透していって、お公家さんなんかは数日に一度とか定期的に入浴するようになったらしいよ。
そういえば、全国にある温泉の多くは、空海さんや行基さんなんかの偉いお坊さんが発見したなんて伝説がつきまとうから(伊豆の修善寺なんかが有名だよね。)、仏教とともに入浴の文化が広まったというのもうなずけるのだ。

戦国時代くらいになると武将なんかの有力な武家もよく入浴するようになって、お風呂文化も発達してくるんだよね。
武田信玄さんの「隠し湯」なんてのもあるくらいで。
で、このころはタオルなんて当然ないので、入浴した後は「湯帷子(ゆかたびら」というものを着て、体についた水分を吸い取らせたのだ。
体が乾くまで、次から次へと着ては脱ぎ、着ては脱ぎ、としていたんだって。
江戸時代にもなって入浴が庶民にも浸透してくると、この湯帷子が入浴した後に着る「浴衣」になるのだ。
もともとは着やすくて、風通しもよくて涼しい着物なのでお風呂の後に着るようになったんだけど、それがいつの間にやら暑い季節に着る簡略の着物になっていったんだよね。
ちなみに、江戸時代になると体は手ぬぐいで拭くようになったので、浴衣を何度も着替えることはないんだよ。

江戸時代には公衆浴場もできて、ときどき風紀を取り締まるために混浴が禁止されることがあったけど(松平定信さんの寛政の改革なんかがそうなのだ。)、基本的に混浴だったんだよね。
江戸末期から明治になって、外国人がその風習を見て、びっくりしたのだ。
遊郭も発達していたし、日本の性に関する文化はとても開放的と思われたみたい。
で、明治になって欧米文化を取り入れて先進国の仲間入りをしようと政府がやっきになっていろいろやったわけだけど(鹿鳴館とかもそうだよね。)、混浴も悪しき風習として禁止され、銭湯から混浴がなくなったとか。
今でも温泉とかには少し残っているけどね。

でも、こうやって見てみると、今のようなお風呂の文化が登場したのは江戸時代で、しかも、男女別になったのは明治時代から、そんなに歴史のあることじゃないんだよね。
しかも、今は銭湯も少なくなってきていて、今の子どもたちは温泉くらいしか公衆浴場を経験することもないから、銭湯でのお風呂上がりに飲むフルーツ牛乳や、ケロリンの黄色い洗面器なんかも知らないんだよね。
それが時代の流れなのかもしれないけど、そうやってボクの子どものころにあったお風呂の文化がなくなっていくのもさびしいものがあるよ。

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