ロボットとからくり
今日はDCにあるケネディ・センター(John F. Kennedy Center for the Performing Arts)のイベントの「Japan Culture + Hyper Culture」というのに行ってきたのだ。
そこには、日本の新たな文化を代表するものとして数々のロボットが展示されていて、ホンダが世界にほこる二足歩行ロボットのASIMOや、ギネスブックにも掲載されている世界一のいやし系ロボットのパロ君なんかがいたよ。
そこでちょっとロボットのことが気になったので、調べてみたのだ。
ロボットは人の代わりになんらかの作業を行う機械のことだけど、最近では人の動きをマネする機械としてのロボットが増えてきているのだ。
前者はいわゆる「産業ロボット」というやつで、日本では工場に数多く導入されているんだよね(導入レベルは圧倒的に世界一らしいのだ。)。
自動車工場のものは有名だけど、塗装ロボットや組立てロボットなど、かなりの部分が産業ロボットで自動化されているんだよね。
最近では自分でゴミやほこりを見つけて取り除いてくれる掃除ロボットなんかもあるし、危険な物質を扱ったり、時間のかかる作業を繰り返してくれる実験ロボットなんてのもいるんだよね。
一方、ASIMOに代表されるようなヒューマノイド・ロボットは人間に似せたロボットで、人間の動きを再現しようとしている技術の結晶なのだ。
ASIMOの二足歩行の重心のバランスの取り方は人とはかなり違うらしいけど、それでも階段の上り下りも含めてスムーズに二足歩行ができるというのは衝撃的な成果だったんだよ。
日本では手塚治虫先生の鉄腕アトム以来人間のような形で、人間のように話せるロボットのイメージがかなり浸透していて、まさにそういうものの開発を目指しているんだよね。
アトムの世界では人間の代わりにロボットが働いていたけど、間の産業用ロボットは一部はその世界を実現しているのだ。
ロボットの名前が最初に使われたのはチェコ・スロヴァキアの小説家のカレル・チャペックさんの小説で、語源はチェコ語で労働を意味する「ロボータ(robota)」といわれているのだ。
小説に出てくるロボットは機械というより人造人間に近いものみたいだけど、ここからロボットという名前が広まっていったそうだよ。
鉄腕アトムの世界なんかには「ロボットは人を傷つけてはいけない」なんて大原則が出てくるし、だいたいのロボット関係の作品では同じような考えが出てくるけど、これはもともとSF作家のアイザック・アシモフさんの作品に出てくる「ロボット工学三原則」というものに基づいているんだよ。
- 第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
- 第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
- 第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
この原則を守らずにロボットが反乱を起こしたりするのがだいたいの作品の内容になるわけだけど、ボクはあんまりこの考え方は好きじゃないんだよね。
これではまるで奴隷と同じなのだ。
鉄腕アトムでも最後の方にはロボットの権利の話が出てくるけど、やっぱりロボットは友だちで、一緒に暮らしていくべき存在だと思うんだよね、作業の役割分担はあっても。
パロ君のような一緒に暮らすようなイメージのロボットが好きなのだ。
そんなボクの好きなイメージに近いのは、ロボットの前身とも言えなくもないからくり人形。
西洋には自働人形(オートマタ)という同じようなものがあって、その技術が16世紀頃に日本にやってきて、同時にやってきた時計の技術と合わさってはってしたようなんだ。
江戸時代の鎖国の間に独自の発展を遂げるんだよね(それでもオランダを通じて欧州と技術的交流はあったようだけど。)。
西洋のオートマタは金属でできていて、もともとは宗教儀式なんかで使われる「動く仕掛け」がもとだったようなんだけど、人間の動きをそっくりマネするものとして作られるようになったようなのだ。
でも、一般の人の目に触れることは少なくて、その神秘性に惹かれた貴族や大金持ちの道楽みたいなものだったみたい。
産業革命が起こり、さらに電気が実用されるようになるとゼンマイなどを使ったオートマタは神秘性も失い、人気はなくなったんだって。
今ではアンティークとして人気があるけどね。
やっぱり時計職人が技術の粋をこらして作っていたようなのだ。
日本のからくり人形はたいていは木でできていて、ゼンマイもクジラのヒゲだったりするんだよね。
茶運び人形なんかが有名だけど、あれはうまくカムを歯車にかませることで一定の距離を進んだところでターンするようになっているのだ。
江戸時代後期に技術が発展していっていろんなからくり人形ができたようなんだけど、特に江戸末期の「からくり儀右衛門」こと田中久重さんが作ったものがすごいのだ。
田中久重さんは東芝の創始者でもあるわけだけど、からくり人形界(?)でも超大物で、弓曳き童子や習字をする文字書き人形なんかはものすごい複雑な構造になっているんだよ。
歯車やレバー、カムが絶妙な組み合わせになっていて、複雑でスムーズな動きを実現しているのだ。
日本のからくり人形はお大尽の遊興だけでなく、見せ物興行なんかにも使われたので、庶民もよく知っていたんだよね。
お祭りの山車に載っているものもあるし、かなり全国的に普及していたようなのだ。
でも、明治になって西洋文化がたくさん入ってくると廃れてしまって、童子に技術も失われていくんだよね。
複雑な仕掛けのからくり人形を作れる人がいなくなってしまうのだ!
でも、戦後になって「機巧図彙」というからくり人形の構造を解説した古書が見つかって、それで現存していなかった茶運び人形が再現できたのだ。
からくり儀右衛門さんのものなんかは複雑すぎて、修理して動かせるようにするくらいなら何とかできるけど、まったく同じものを作ることはできないと言われているよ。
この日本のからくり人形にも多くの時計職人の技術が使われているようだけど、今の人間国宝と呼ばれる人たち以上の神業を持った職人たちが手がけていたようなのだ。
殷本ではからくり人形がかなりメジャーだったこともあって、ロボットに対してより親しみを感じやすいと言われているんだよね。
それが多くのロボットが社会の中で活躍している文化的背景とも言われているのだ。
日本のロボットとして最初に世界を震撼させたのは、京都博覧会に出品された「學天則」というもの。
生物学者の西村真琴博士が作ったものだけど、あの水戸黄門の俳優の西村晃さんのお父さんなのだ。
空気圧を動力に腕を動かしたり、表情を変えることができたらしいよ。
まさに今でいうヒューマノイド・ロボットの走りなのだ。
これが昭和3年のことなので、日本はそのときからロボット先進国だったわけなんだよ。
これからも人間のパートナーとしてのロボットに期待したいのだ。
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