2007/07/08

君は誰?

米国ではサマータイムが導入されているので、夜の21時くらいまで明るいんだけど、日が沈むと一気に暗くなるんだよね。
とは言え、車社会で道路のネオンがとても明るいから、前後不覚になるようなことはないんだけど。
でも、少し街を離れると一気に暗くなって、道路の近く以外は真っ暗なこともあるのだ。

それこそ電気のなかったむかしは日が沈んでしまうと真っ暗で、月夜ならまだしも、新月だと星明かりしかなかったんだよね。
そういうくらい雰囲気も趣があるような気もするけど、何かと不便も多かっただろうね。
行灯とか提灯といった心許ない明かりしかなかったし。

そうすると、夕方になって日が沈んでくると、あたりが暗くなって少し離れたところにいる人の顔が識別できなくなって来たのだ。
それで、夕方のことを「誰ぞ彼」から「たそがれ」時と呼ぶようになったんだよね。
顔がはっきり見えないから、誰?と思ってしまうということだよ。

似たような言葉に「かはたれ」時というのがあるけど、これは「彼は誰」で逆になったヴァージョン。
基本的に同じなんだけど、いつしか「かはたれ」時は朝方の薄暗い状態を指す言葉として主に使われるようになったのだ。
なので、朝暗いうちは「かはたれ」、夕方暗くなったら「たそがれ」なんだ。

さらに「逢ふ魔が時」なんて言葉もあるけど、これは誰かはっきり識別できなくて、ひょっとしたら「人ならぬもの」もいるかも知れないという潜在的な恐怖感の表れなのだ。
柳田国男先生の著作を読むと、「もしと1回だけ問いかけてくるのが妖怪で、人ならば、もしもし、と2回問いかけてくる」なんて話が出てくるけど、誰だか識別できないからむかしの人は見慣れない人らしき影があると恐怖を抱いたんだよね。
で、よくないことなんかが起きるときっとそのときに見た妖怪のせいだ、というようになったのだ。
時としては「大禍時(おおまがとき)」とも書いて大きな災いがある時間帯、ともされるんだよね。
どっちが最初かわからないけど、別に夕方にばかり災害が起こるわけじゃないので、大きな災いが起こる、というのは少しこじつけのような気がするけどね。

今では街全体が明るいからこういう恐怖感じゃなくて、犯罪があるんじゃないかっていう恐怖感の方が強いけど、これって想像力がなくなっていっているということでもあるんだよね。
むかしは説明できないこと、わからないことをなんとか形にしようとして妖怪とかが想像されていたんだけど、科学によっていろいろなことが解明され、物理的な闇も街から消えると、妖怪が生き残る隙がほとんどなくなってしまうのだ。
なんだか少しさみしい気もするよ。

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