東京の道路事情
ボクが今来ているワシントンDCはほとんど何もないところに作られた計画都市なので、首都の中心部の道路がきれいに整備されているのだ。
東西にはA、B、C、Dとアルファベットの通り(AはIndependence Avenue、BはConstitution Avenueなのだ。)が、南北には、1st、2nd、3rd、4thと数字の通りが走っているんだよね。
これに放射状に走る州の名前の通りが加わるのだ。
一度覚えるとけっこうわかりやすいんだよね。
一方、東京の道路は江戸時代からの道路を基本的に踏襲していて複雑なのだ(>_<)
道路幅が変わったり、急な坂をならしたりとかはしているんだけど、むかしの地図と重ねてみると、ほとんど道に変化がないことがわかるのだ!
でも、そんな東京でも、関東大震災の後には大幅な区画整理、公園整備(これは火災被害の拡大防止の意味もあるんだよ。)、道路整備が計画されたんだ。
その計画を打ち出したのは、帝都復興院総裁となった後藤新平さん。
満鉄総裁としての方が知名度が高いけど、東京の道路を語る上ではもっとも重要な人物なのだ。
このとき計画されたのは道幅の広い(中央に緑の中央分離帯のある70~90mの道)、放射道路と環状道路。
けっきょく資金難や用地買収の困難から計画どおりには行かなかったんだけど、それでも大きな道路整備が行われたんだよね。
このときできた有名な道路は新橋から上野を通って三ノ輪まで出る昭和通りや、新宿から靖国神社の前を通って浅草橋まで出る靖国通り。
東京を縦や横に走る大きな幹線道路はこのときの放射道路計画で大幅に整備されたんだよ。
さらに重要なのは環状道路。
この前やっと環八(環状8号線)が全通したけど、1号線から8号線まであるのだ。
環状1号線は内堀通り、永代通り、日比谷通り、晴海通りなどを含んでいて、内堀通りは皇居のまわりをちょうどくるっと1周しているけどそれ自体が1号線ではないのだ。
環状2号線は外堀通り、新大橋通りなどで、やっぱり外堀通りも1周できるけど、それ自体が2号線ではないみたい(外堀通りは東京、新橋、虎ノ門、赤坂、四谷・市ヶ谷、飯田橋、水道橋・お茶の水、神田とくるっと回れるんだよね。)。
環状3号線は、清澄通り、外苑東通り、言問通り、三ツ目通りなどで、かなり断片的になっているんだ。
茗荷谷駅前にある播磨坂の桜並木はまさに環状3号線の幅広い道として作られたんだけど、ほんの短い区間しかないのだ。
環状4号線は、外苑西通り、不忍通り、明治通り、四ツ目通りなどで、やっぱり断片的。
外苑東通りと外苑西通りは神宮外苑を間にはさんでほぼ並行に走ってるけど、それぞれ環状線の一部なんだよね。
三ツ目通りと四ツ目通りの関係も同じなのだ。
環状5号線は明治通りで、明治通りは4号線の一部でもあるし、5号線でもあるんだって。
明治通りはかなり環状に近いけど、麻布の古川橋から夢の島までで、そこから東京湾(芝浦ふ頭付近)までの部分が未開通なんだよね。
あと少しなのだ、すでに道路計画はないんだけど・・・。
環状6号線は山手通りのことで、品川から板橋まで。
リングの西側だけができている状態だよ。
そのまま環状にすると王子から浅草を通って隅田川に沿って南下するような形になるはずなんだよね(それは計画にはないみたいだけど・・・。)。
環状7号線からはそのまま環七と呼ばれていて、一番早くに全通したのだ。
かなり整備にお金がかかったようで、無用の長物とも批判されたらしいけど、今ではなくてはならない道路だよね。
平和島・大井埠頭から葛西臨海公園まで続いているのだ。
これは本当にくるっとまわっているんだよ。
最後の環状8号線こと環八は昨年やっと全通したんだけど、羽田の天空橋から赤羽まで。
山手通りと同じでリングの西側しかないんだけど、計画ももともとここまでなのでこれで全通なのだ。
で、どれをとて見てもよく渋滞することで知られる主要な幹線道路。
もしこれらの道路が作られていなかったらもっと大変なことになっていただろうね。
こういう道路の建設で江戸の情緒や街並みが失われた、という声もあるけど、都市として機能しなくなるよりはましなんじゃないかなぁ、と思うよ。
街をある手入ればまだまだ江戸時代とほぼ変わらない街の区画なんてよくあるから(例えば吉原の入口の吉原大門の「く」の字型の道路とか、下谷・入谷・谷中近辺なんかはそういうところだよね。旧東海道や旧中山道もその一部は今でも商店街として残っているのだ。)、ボクは作ってよかったと思うんだよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿