人形から人へ
ふと気づいたらもう赤穂浪士の討ち入りの日だねぇ。
いよいよ年も押し迫ってきたのだ。
この時期になるとテレビでよく忠臣蔵をやっているけど、このもとは「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」というお話で、赤穂浪士の討ち入り事件を題材にしているんだけど、当時はその事件をそのまま脚本にすると幕府に取り締まられるので、脚本上は太平記の「塩冶判官讒死(えんやはうがんざんし)の事」に移していて、むかしの話ということにしてごまかしているんだよ。
これは伊達騒動を題材にした「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」なんかでもそのままではまずいので、設定を変えて脚本化しているのだ。
※ちなみに、「仮名手本」の仮名は47文字の仮名で赤穂浪士四十七士をあらわすとともに、「いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」と7・7・7・7・7・7・5でいろは歌を切って最後の文字を並べると「とかなくてしす=咎(とが)なくて死す」となって、「罪もないのに死んだ」という浅野内匠頭の悲劇をも表しているんだよ。それと、「忠臣蔵」は蔵いっぱいの忠臣という意味もあるけど、忠臣の蔵(=大石内蔵助)という意味もあるんだよね。
で、実は、この「仮名手本忠臣蔵」も「伽羅先代萩」も、もともとは人形浄瑠璃の台本として書かれてて、それが後に歌舞伎の演目になっているんだよね。
人形浄瑠璃の三大名作として、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」、「義経千本桜」とこの「仮名手本忠臣蔵」があるんだけど、どれも全部歌舞伎に取り入れられていて、しかも、歌舞伎の中でも有名な演目になっているよね。
人形浄瑠璃は人形なのでかなりアクロバティックな殺陣や早変わりなんかもできるんだけど、歌舞伎でも花道を使って舞台の左右だけじゃなく前後の広がりを使ったり、奈落やセリを使って殺陣の動きを入れたり、早変わりやとんぼ返りなんかも入れてかなり立体的に動くようになっているのだ。
でも、さすがに実現できないところとかもあるし、歌舞伎になってからまた独自に発展したので、少し脚本に食い違いがあったりするようだよ。
それと、人形浄瑠璃では義太夫がナレーションできるけど、歌舞伎はそうはいかないので登場人物が説明的な台詞を話さざるを得ないのだ。
こうして人形浄瑠璃から歌舞伎になったものを通称「丸本物(まるほんもの)」というそうなのだ(人形浄瑠璃の脚本を省略せずに収めた本を「丸本」と言っていたことに由来するそうだよ。)。
「義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん)」とも言うそうだよ(はじめから歌舞伎の脚本として書かれたものは「純歌舞伎狂言」というそうなのだ。)。
教科書なんかにも出てくる近松門左衛門さんはもともと人形浄瑠璃の脚本を書いていて、それが翻案されて歌舞伎にもなっているのだ。
江戸では、福内鬼外(ふくうちきがい)こと平賀源内さんが人形浄瑠璃の脚本を書き始めて、それが江戸浄瑠璃の走りになり、歌舞伎にもなっているよ。
代表作は「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」なんかだよ。
これは東急多摩川線の武蔵新田駅近くにある新田神社にまつられている新田義興(よしおき)さんの話で、この人は多摩川にあった矢口の渡しで謀殺されてしまうんだけど、その例が怨霊となって祟るというストーリーなのだ(この霊を鎮めるために建てられたのが新田神社で、神社の裏には義興さんをまつった塚もあるよ。)。
人形浄瑠璃の文楽も歌舞伎も今は伝統芸能としてなんだか敷居が高いようだけど、江戸時代には庶民の娯楽だったんだよね。
なので、その時代時代の事件を取り込むものがやっぱり人気で、「仮名手本忠臣蔵」や「先代伽羅萩」なんかはワイドショー的なものでもあったのだ。
まずは人形浄瑠璃で始まって、それが歌舞伎になるという流れは、今でいうマンガ・アニメからドラマへ、テレビから映画へといった流れと似たようなものなのかも。
人気のある演目はいろんなところに広がっていくということなのだ。
でも、江戸時代も後半になると歌舞伎の方が人気が出てしまって、人形浄瑠璃を演じる劇場は少なくなっていって、文楽座だけが唯一残った専用の劇場となったので、文楽が人形浄瑠璃の代名詞になったらしいのだ。
今では文楽は大阪の国立文楽劇場がホームグラウンドで、ときどき東京の国立劇場にも来るんだよね。
でも、東京にいるとほとんど見る機会がないのだ。
歌舞伎なんかは江戸歌舞伎も上方歌舞伎も両方あるんだけどね。
ボクはけっこう人形浄瑠璃には興味があって見てみたいんだけど、まだ機会がないんだよね。
できれば、歌舞伎と同じ演目を見比べてみたいものなのだ。
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