2007/09/02

菜食

今日は何となくさっぱりしたものが食べたくて、野菜たっぷりの塩味パスタを作ったんだけど、肉類は一切入れなかったんだ。
でも、野菜の味がしっかりと感じられて、なかなかおいしくできて大満足(^o^)/
にわかベジタリアンというわけ。

米国に来てから改めて気づいたのは、けっこうベジタリアンの人が多いというおkと。
どこに行ってもベジタリアン用の食事が何かあるのだ。
それだけ需要が高いと言うことなんだろうけど、一方で肥満の人が増えているっていうんだから両極端なのかも。

ベジタリアンと一口に言っても、実は食べられる範囲によってさらに細分化されるようなのだ。
乳製品は食べてよい、とか、はちみつすら食べてはダメ、とか、魚介類ならOKとか、ニンジンとかキャベツとかその生物が死んでしまうものを食べるのはダメなので果物などばかりを食べる、などなど。
卵が食べられるかどうかもけっこうクリティカルで、卵もダメとなるとかなり制限がかかるんだよね。
さらに乳製品もとらないとなると、脂肪やタンパク質がかなり摂取しづらくなるし、味のバリエーションも相当せまくなると思うよ。

インドではかなり菜食が発達していて、どうもカースト制度で上の方のカーストの人は肉を食べなかったからみたいなんだよね。
菜食と言っても油をけっこう使うし、何より乳製品をふんだんに使うので、日本人がイメージするベジタリアンの「貧困な」サラダや野菜スープ中心の食事とはまったく異なるのだ。
さすがに歴史を積み重ねてきただけあって洗練されているようなのだ。
インドでは人口比率で3割くらいの人がベジタリアンにあたるようだけど、それだけの人が長年ずっと続けてこられたのも料理が発達したおかげだよね。

さらに、インド発祥の世界宗教である仏教も基本的に肉や魚を食べるのは禁止なんだよね。
特に中国から東アジアへ広がった大乗仏教では仏教の教えとともに菜食中心の食事も広がっていったのだ。
中国ではそのおかげで「もどき」料理が発達して、肉や魚を食べられない代わりに、野菜などの材料でそれに似た形、食感、味の料理を発達させたんだよね。
現在欧米でも似たような料理がはやっていて、ベジタリアン用なんだけど普通の人の食べる料理と同じようなものを作っているのだ。
でも、そこまでしてこだわるなら、はじめからベジタリアンにならなければいいのに、といつも思う。
とは言え、宗教上の教えや健康の問題でもあるから、野菜だけを食べたいけど、できるだけおいしく食べたいという根源的な要求なのかも。

日本の精進料理も菜食料理で、禅宗の伝来とともに鎌倉時代以降に発達していったのだ。
現在の日本料理の代名詞的なものになっている会席料理も、禅宗の精進料理を茶会の席で出す料理として応用したものがもとになってえいるんだよね。
この精進料理も基本的に肉も野菜も使わないけど、だしがきいていたりして、さっぱり目だけどしっかりとした味付けになっているのだ。
飛竜頭(がんもどき)や高野豆腐、豆腐料理、こんにゃく料理なんかが発達したのは精進料理の貢献度が大きいんだよね。
京都のお漬け物なんかももともと精進料理の中で生まれてきたものがあるのだ。
たくあん漬けを広めた沢庵和尚も禅宗のひとつの臨済宗のお坊さんだよね(これは俗説という話もあるけどね。)。

ボクも若いころはもっと脂ぎったものが好きだったけど、最近は年のせいかさっぱりとした和食、特に野菜を多く使った料理が好きになったのだ。
きんぴらゴボウとか野菜の炊いたのなんておいしいよね。
米国にいると滅多に食べられないので余計あこがれてしまうよ。
これだけ菜食がはやっているのに、日本の精進料理がまだ米国でブレイクしていないのは不思議だよ。
けっこう受けると思うんだけどなぁ。

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