2007/09/21

ほん

ふと思い出したんだけど、「本」って確か定義があったんだよね。
前に聞いたことがあったのだ。
で、気になってきたので、調べたみたよ。

すると、その「本の定義」というのは1964年の国連教育文化科学機関(UNESCO)の総会で採択された基準のことで、「表紙を含めて本文が少なくとも49ページ以上からなる、印刷された非定期刊行物」なんだって。
定期刊行物は雑誌や新聞だからいいとして、印刷された非定期の刊行物で48ページ以下のものはなんて呼べばいいのかな?
「冊子」とでも言うのかな?
気になるのだ(?o?)

今のように紙の印刷物の本ができたのは最近で、古代は粘土板にくさび形文字を彫りつけたり、木や竹を薄くスライスした木簡や竹簡に字を書いたりしていたのだ。
古代エジプトは草の繊維でパピルスを作っていたけど、一度ほぐした繊維をシート状にかためたものではないので、紙とは言えないんだって。
その後になると、欧州や中東ではヒツジの皮を薄くのばした羊皮紙が使われるようになるんだよね(ハリー・ポッターにも出てくるやつね。)。
はじめは巻物が多かったんだけど、羊皮紙を重ねてひもでとじて、本状のものができてきたそうなのだ。

時代が下って15世紀になると、ドイツでグーテンベルクさんが印刷機を発明し、世界で初めての印刷物である「グーテンベルクの聖書」が刊行されるのだ。
これを皮切りに欧州では紙の本が浸透していくことになるんだよね。
グーテンベルクさんが最初に作ったのは凸版印刷だけど(文字の部分が出っぱっている。)、後に本の挿絵は銅版画の凹版印刷(エングレーヴィングやエッチング)で行われるようになるのだ。
これは溝にインクを流し込んで、紙を密着させてプレスすることでインクを移す技法で、日本の紙幣なんかも凹版印刷なんだよ(色のついているところが少しふくらんでいるのが特徴。)。
今では印刷技術はもっと進化しているよね。

一方、日本では紙の使用はとても早くて、すでに聖徳太子の時代には朝鮮経由で中国から伝わっていたみたいなのだ。
平安時代には貴族の間で写本がはやって、更級日記の作者の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)さんが写本の源氏物語をもらったときに夢中で読みふけった、なんて話が出てくるのだ。
当時は印刷技術はまだないから、手書きで写していたんだよね。
なので、写し間違いも多くて、古文でよく「○○本を底本とした」と注記がついているのは、そういう写し間違いで同じタイトルの本でも文章に異同があるので、どの本をオリジナルとしているかを著す必要があるからなんだ。
たいていはその本を伝えている家やお寺、写した人の名前が入って、「冷泉家本」とか「建長寺本」とか「定家本」とかそういう名前がついているんだよね。

木版印刷技術は平安時代にはすでに伝わっていたようなんだけど、手書きで写すのが上品で風流とされてあまり発達しなかったとか。
でも、鎌倉時代くらいになると、仏教の経典については中国の木版印刷技術が使われるようになり、その印刷技術が浸透していくのだ。
これが江戸時代になると、浮世絵や黄表紙など、庶民の文化の中にも印刷技術が入り込んでくることになるんだよね。
欧州では長く印刷本は高価なものでお金持ちのものだったので、大きな違いなのだ。

実は、江戸時代の本の普及というのはすごいことで、まず第一に、それだけ多くの人が本を読めるということを表しているのだ。
江戸時代の識字率の高さは世界でも有数だったそうだけど、寺子屋などの庶民の教育機関が発達していたおかげで、娯楽として文字の書いてある本を読む、ということが庶民の間にも浸透したのだ。
さすがに黄表紙なんかは絵も多くて、字があんまり読めなくても楽しめるようにはなっているんだけど、それでも、曲亭(滝沢)馬琴さんの南総里見八犬伝や十返舎一九さんの東海道中膝栗毛なんかは庶民の間で読まれた読み物なんだよね。
明治になると海外の金属板を使った近代的な印刷技術が登場して一気にこの木版技術は廃れていってしまうんだけど、ほとんどずれなしに多色刷をしたり、すごい技術だったのだ。
こういう文化は残していきたいよね。

0 件のコメント: